少年は荒地を目指す
ロジャー・ウォーターズ小論


 by レイランダー・セグンド  Nov.2004

la civilisation faible
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 ロジャー・ウォーターズにとってのピンク・フロイドとは、結局、彼の中の「少年/男の子」と、それを通して感じた世界の手触りを表明する手段だったのではないか、と思う。どこか猿人みたいに長くいかつい顔立ちで、メンバー中でも一番大柄でマッチョだった彼が、いつもじーっと自分の中の「少年」という弱さを見つめていた。そのギャップというかアンバランスに、僕は何か引き付けられるものを感じていたものだ。
 シド・バレットがいた最初期のフロイドにおいては、バレットが少年そのものだった。バンドはバレットという紙一重の天才少年に羅針盤を預けていれば、それで良かった。バレットが精神を病んでフロイドを去って以降、ウォーターズの「自分探し」ならぬ「少年探し」が始まった。
 組曲『原子心母』は、変声期に近づいた少年の深層意識をベースにしたもので、『サージェント・ペパーズ』や『トミー』のような演劇的ドラマツルギーを基軸にしたものとは別種の、「内的ドラマ」を音楽的に表現したことで、独自の領域を確立したと言える作品だ。父への畏怖―母性への渇望―性的断絶感―“汚いもの”への興味と抗い―そして、声変わり―。『エコーズ』も同様に、「母」から切り離され、荒涼とした自然の中に放り出された少年の心象風景を、叙情的に展開している曲だ。
 ただし、弱々しさと、その裏返しの過剰な攻撃性が同居しているのが少年である。フロイドの曲は、いつもその両者の間で大きく揺らいでいた。日本ではプロレスラー(ハルク・ホーガン?)の入場曲として有名だった『吹けよ風、呼べよ嵐』の原題は、『One of these days I will cut you into little pieces(近いうちに日を選んで、俺はおまえをバラバラに切り刻んでやる)』である。あるいは、同じほとんどインストのような曲で、『ユージン、斧に気をつけろ』なんていうのもあった。一体何がどうなると、こういう物騒な曲名が出てくるのか。「13日の金曜日」じゃあるまいし。
 かと思えば、時に少年の記憶は母の胎内とおぼしき場所にまでさかのぼり、そこで冷たく敵意に満ちた外界との接触を反芻する。そのものずばり『エンブリヨ(胎児)』という曲まであった。その曲に限らず、規則正しい心音のようなベースのリフ、保護膜のように広がるシンセサイザーと羊水のように流れるスライド・ギターという、フロイドの十八番の音世界は、常に「胎内」を本拠地にしていたかのようだった。そして胎内で守られていたのは、いつも「男の子」だった。

“The Piper At The Gates Of Dawn”(1967)

“Atom Heart Mother”(1970)


 こういった一連の傾向を、単にマザコン男のめそめそした感傷に過ぎないと断罪できる人は幸いだ。だが、それが極めて父権的な、キリスト教社会の圧迫から身をよじって逃れたいと思う西洋人、特にW・ライヒ言うところの「性格の鎧」を着せられることへの恐怖が深刻な若い男性の深層意識に沿ったものだ、という点を見過ごしてしまうのは面白くない。実際フロイドが欧米で、日本人の感覚からするとちょっと解せないくらいバカ売れした理由は、そこにあるのだと思う。僕のようにロックを通して欧米の社会の実相について学ぶことが多かった者からすれば、フロイドがバカ売れするという事実は、かなり考えさせられることだった。ありきたりだが、音楽はやはりその社会を写す鏡であるから(もっともこのバンドの場合、ヒプノシスというデザイン・チームのあまりにも印象的なレコ・ジャケが、購買意欲に作用したという面も無視できないのだが)。
 フロイドはおそらく、西洋人の「心理」に訴えかけることをとことん意図的に狙って、そのための仕掛けに工夫を凝らす労を惜しまなかった、最初のロック・バンドだった。その心理とは、社会によってか、文明によってか、とにかく自分が狂ってしまうことへの恐怖と憧れの入り混じったものに違いない。その意味でロジャー・ウォーターズという男は、管理された無知と狂気を前提にした全体主義社会の悪夢を「1984」で提示した作家G・オーウェルや、人はいかにして「発狂」するか、そのプロセスを飽きもせずくり返し描いた映画監督S・キューブリックの系譜に連なる、「神経のおののきを見つめる」西洋人の一人だと言えるかもしれない。
 ただウォーターズの場合独特なのは、その「心理」の立ち戻る起点はいつも「少年」であり、成年の自分が発狂し崩壊しようとも、「少年」は無傷のまま(あるいは少年時代に受けた傷があるだけで)どこかで旅を続けているのである。あたかも、その彼がどれだけ今の自分から離れているかは問題ではない、彼が確かにどこかにいることを、知っていることだけが重要なのだ、と言わんばかりに。

君がどこにいるか 誰も知らない
どれほど近くに あるいは遠くにいるのか
狂気のダイヤモンドよ 君の上に輝かん
一人 また一人と 折り重なって倒れる者たち
僕もまた そこで倒れるだろう
狂気のダイヤモンドよ 君の上に輝かん
僕らは過ぎ去った栄光の影にいだかれ
はがねの凪に 漕ぎ出す
来るんだ 少年よ 勝利の時も敗北の時も
来るがいい 真実と錯乱の坑道を行け されば輝かん

   −(『狂ったダイヤモンド』 より)

 アラン・パーカーの映画「ピンク・フロイド/ザ・ウォール」は、この意味でよくできていた。ここでの「少年」の存在感は、アルバム『ザ・ウォール』以上である。(脚本にウォーターズが関与している以上、当然といえば当然なのだろうが)。主人公の青年に「少年時代」があった、どころの描き方ではない。青年は見かけは大人でも、心象風景は少年のまま、少年そのものの感性でこの世を見据え、摩擦を引き起こし、狂気に引きこもり、そして断罪される。まるであの『ブリキの太鼓』の裏返しの寓話のようだ。
 といってもその少年の存在感とは、パーカーのめくるめく映像の迫力が、美的に存在することを可能にしてくれたものだ。『ザ・ウォール』は、ストーリーそれ自体としては、皮肉にも「ロックなんてしょせん自閉傾向児が社会に悪態をついたり、センチメンタルな自己慰安にひたっているだけのもの」という、世の冷笑的批判を裏書きするような、大仕掛けの戯画に成り果ててしまった、と僕は考える。誰だって、自分の子供時代が一番美しいと思いたいからな、とか。
 だが、ウォーターズにしても、そんな批判は百も承知だったはずである。『アニマルズ』から『ザ・ウォール』に至る道筋は、それでも彼の言いたかったことを、率直に突き詰めていくプロセスであったことは間違いない。それは彼のアーティストとしての誠実さの証でもある。それをやることで彼は、ピンク・フロイドというバンドに備わっている神秘的な虚飾の大部分を、みずから剥ぎ取って見せた。
 そのプロセスにこそ、正真正銘のドラマがあった。が、結果出来上がったものは、さしてドラマチックではなかったかも知れない。明らかにこれによってフロイドというバンドは一皮むけたのだが、それは終局への助走でもあったわけだ。
 他のメンバーは苛立ちを募らせ、ついに造反した。彼らはウォーターズ抜きで「これぞフロイドです」という感じのムーディな新作を発表し、ワールド・ツアーを敢行し、往年の名曲の数々を演奏してオールド・ファン(の一部)を感涙にむせばせた。ピンク・フロイドはこうして、事実上終わった。
 これに絡んで、ほっぽり出されたウォーターズがイギリスの音楽メディアに送った声明文のその「調子」を、僕は今でも憶えている。大げさというか、ほとんど政治セクトのノリに近かった。
 なぜそんな風に感じたのだろう。「純潔」という表現を使っていたからだろうか。「自分こそがバンドの精神的純潔を守ってきた、それがあったからフロイドはフロイドでいられたのだ、なのにあいつらはコマーシャリズムに目がくらんで、云々」といった内容だったと思う。僕はそれを読んで、彼には悪いが、ああまったくロジャー・ウォーターズ先生だなあ、困ったもんだ^^)・・・などと、苦笑しつつ安堵しつつ・・・。
 しかし、その「純潔」が「少年」を意味するのならばどうだろう。「純潔」はコマーシャリズムに対する敵対心といった次元の話以前に、ピンク・フロイドというバンドの創作原理に直結する問題として語られていることになる。彼の物言いの大げさぶりを、笑って済ませるだけでは軽率だったかも知れない。

“Animals”(1977)

 もう一度確認しよう。『ザ・ウォール』の一作前の『アニマルズ』は、オーウェルの寓話「動物農場」を下敷きにした、かつてなく社会に対する好戦的なスタンスを示した作品だった。同時にウォーターズの独裁色がいよいよ決定的になったという意味でも、記念碑的な作品である。
 『狂気』がまさしく狂気のように売れまくり、フロイドはロック界の生ける神話となった70年代。もはや一生遊んで暮らせるだけの金が懐にあり、バンドは技術的に円熟の境地にあり、リゾート地の別荘で葉っぱでもキメながら仙人みたいな暮らしをするのもわけはなかった。そんな状況に対する危機感からか、「自分らは何であったか」と、不安げに合わせた視線の先に当然のようにいたのは、少年シド・バレットである。
 バレットへのオマージュたる『炎〜あなたがここにいてほしい』は、よくいうところの「内省的」アルバムだとしても、売れてしまった現実が彼らを内省的にしたわけではない。フロイドはバレットの失踪以降、ずっと内省的テーマで売ってきたようなバンドである。むしろそんな、ヒッピーのアイテム化した抹香くさい「内省的」から、一歩踏み出す表現への模索が、このアルバムから始まっていた(『マシーンへようこそ』『葉巻はいかが』など)ことに注目していい。といって、『炎』はあくまで過渡的段階だった。
 「自分らは何であったか」ではなく、「何でありえるのか」という方向に舵を取り、一つの形として実をつけたのが『アニマルズ』だった。「少年」を捨てられない社会不適合者ウォーターズが、「守るべきもの」としてよりも、みずから少年と一体であることを表明しつつ、挑戦状を叩きつけている。無骨なまでの挑戦状。変人であることの宣言。したたかに変人であることをやめないという、宣言。
 その強迫神経症的・過大妄想的世界観の見え隠れする歌詞は、つっこもうと思えばいくらでもつっこめるだろう。「青臭い」「左翼くさい」「観念的だ」「類型的だ」「しょせん金持ちのインテリの自己満足」「モラトリアム青年のたわごと」・・・等々。だがその歌詞の持つ激烈さは、ロックが精神性というもので文明社会と対峙するなにものかであるという今更なことを、至極素直に引き受けたからこそ生まれた、「生まれながらの激烈さ」なのだ。この風化しない反発力・起爆力そして激烈さこそが、僕には信頼に値する表現の原型だ。そういう観点において、『Dogs』の詞は、僕のささやかなロック史の中で、今でも一つの極北の位置を示している。

 後にソロ第一作となった『ヒッチハイクの賛否両論』などを聴いても、確かにウォーターズという人は、音楽家としてはフロイドの他のメンバー、ギルモアやライトと比べて一流とは言い難いかもしれないとの疑いは拭えなかった。音楽的には、極端なことを言えば、少年どころか「オヤジ」的な趣味の悪さが目立つほどである。クラプトンをゲストに呼んで、おざなりなギターを弾かせたりしていてはそうも言いたくなる。それでも詩人としては、それも歌詞を紡ぐロックの「詞人」としては、ある種“権化”と呼んでもいいくらいの力を備えた人であることは、確認できたのだった。

 そして「少年」は今、どうしているのだろう。まだどこかで、旅を続けているのだろうか。


  追記:シド・バレットは2006年7月7日、糖尿病による合併症で死去した。享年60歳。



“Meddle”(1971)

“Dark Side Of The Moon”(1973)

“Wish You Were Here”(1975)

映画「Pink Floyd/The Wall」
劇場版ポスター

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