☆ビートルズとレノン、そしてロックが生まれた日

2008.4.5 レイランダー・セグンド


 A・タルコフスキーの映画『サクリファイス』のパンフレットに載っていた、生前の武満徹へのインタビューの中に、忘れられないエピソードがある。それは武満が新しい作曲の仕事をする前に、いつも「みそぎの儀式」として、バッハの「マタイ受難曲」(通しで3時間くらいあるという)を聴いて、それから仕事に取り掛かった、というエピソードだ。「マタイ受難曲」の中の一曲が『サクリファイス』のテーマソングとして使われていることに絡んで、武満自身が語った話である。
 それから数年後にテレビ(確かNHK教育)で、故人となった武満徹の生涯を振り返る追悼番組があった時にも、この話は紹介されていた。実は、死の床にあった武満が最後に聴いていたのも「マタイ」だった。番組のナビゲーター/解説者を務める立花隆が、そのことを語りながら感極まっていたのも忘れられない。
 それにしても、3時間にもなるレコードに耳を傾けて、それから自分の仕事を始めるなんて、やっぱり天才はエネルギーの総量が違うな、と思わずにはいられなかった。僕ならば聴くだけで体力を使い果たして、その日は何もクリエイティヴなことはできないだろう。あるいは聴くことから来る感動に身を委ねている内に、関心が音楽を「創ること」から逸れて、気がついたら別の考えに耽っていた、なんてことになりそうだ。

 ただ、「聴くことによる“みそぎ”」という意味だけなら、僕の中にも同じ位置にある音楽作品がある。それは、ジョン・レノンの『ジョンの魂』(原題:Plastic Ono Band,1970年)である。


 僕は、実はビートルズを好きになったことがない。より正確に言うと、有名な曲はすべて「ポップス」として聴き慣れているけれど、「ロック」として聴いて感動したことがない。中古のベスト盤を一枚持っていたけど、ほとんど聴かないうちに誰かにあげてしまった。
 それはいかんよ、もっとちゃんとビートルズを聴くべきだよ、と薦めてくれる友人もいる。確かに、僕として今聴き直すなら、『ラバー・ソウル』〜『ホワイト・アルバム』あたりの“中期”の作品だろうか──そのあたりに、実験的な要素を含めて面白いものがいっぱい詰まっていそうな気配がする。しかしそれらにしたって、現在第一線で仕事をしているアーチストの優れた作品を押しのけてまで拝聴する価値があるのかというと、ちょっと疑問だ。
 それに実のところ、僕がこれまでに感動をもって聴いてきたもろもろの「第一線」アーチストたちというのは、みなそれぞれの形でビートルズを吸収して自分たちの作品に取り込んでいるようなところがある。僕としては、それらを通じて間接的にビートルズを聴きまくってきたと言っても、間違いではないような気もする。
 とはいえ、それだけじゃ心配だ、やっぱり「本家」を直接聴くべきだと思って、頭から終わりまで気合を入れてじっくり聴いてみたアルバムが一枚だけある。『サージェント・ペパーズ』である。確か、ローリング・ストーン誌選定「(全時代を通じての)ロックの名盤」のベスト1に輝いたアルバムだ。
 しかし、僕の胸には特に響いて来るものがなかった。唯一、最終曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の歌い出しの部分(「I read the news today,oh boy・・・」)、そして中間部のテープ・コラージュが重ねられた「サイケな」部分を除いて。
 友達の家で『アビイ・ロード』を丸々聴いたことも二、三度ある。こちらは、友達との会話のBGMとして聴きながら、いつも気がつけば終わっていた、という印象しかない。

 なぜそうなってしまうのだろう。僕は鈍感なのか?ビートルズを味わうセンスがないのか?だけど、ビートルズの影響を深く受けた70年代のバンドなどは、昔から偏愛しているくらいなのである。たとえば10cc、スーパートランプなど。彼らはビートルズが60年代にさほど自覚的にやっていなかったことまでを、隅々まで自覚的にやり抜く“技巧派”だった(ゆえにビートルズ以上のウィットや皮肉、重厚さをも備えていた)。
 ロックを聴き始める入り口になったキッスやクイーンにしても、かなりビートルズの影響は濃い。大体がこの頃、大衆的な売れ線の音楽をやっているミュージシャンで、ビートルズの影響を受けていない者を探すのは、不可能に近かった。70年代後期から“ニュー・ウェイヴ”の旗手として台頭し、その後メジャーな存在になったポリスやエルヴィス・コステロあたりにしてもそうだし(ポリスはビッグになり始めてから鼻についてきて嫌いになったけど)、幾多の邦楽アーチストにしても同じことだ。
 そんな自分が、いわゆるビートルズ・サウンドを味わうセンスがないとは、まったく思えない。むしろ欠かさず摂取してきた栄養分みたいなものなのである。にも関わらず、年季の入ったロック・ファンが時にこんな風に言うのを聞くと、僕は違和感を禁じえないのだ。いわく、ビートルズは基本。ビートルズがわからなければ、ロックはわからない。いろいろなロックを聴いてきたけれど、最後に残るのは結局ビートルズだね。
 『サージェント・ペパーズ』?もちろん傑作だよ。基本中の基本じゃないか。あれがわからないなんて、おまえそれでロックを語れるのか?

 それを言うなら、僕はその人たちに逆に聞きたい。
 あなたたちは『ジョンの魂』を聴かなかったのか?あの中でレノンが「ビートルズを信じない」と歌っているのを、あなたたちはどう受け止めたのだ?
 その時ばかりではない。レノンが後年のインタビュー*1で『サージェント・ペパーズ』についてこんな風に語っていたのを、「ビートルズ・ファン」を自認する人が知らないということがあるだろうか?

「あれは徹頭徹尾、ポールのアルバムだ。僕は何もしていない。僕がしたことといえば、ただI read the news today, oh boy、と歌ったことくらいだ」

 「何もしていない」は言い過ぎだろう。実際には彼は、楽器演奏を含めて、いろいろと手を貸しているはずだ。しかしその製作当時から、インタビューの当時にいたるまで、彼が『サージェント・ペパーズ』に興味を持てなかった、どころか、「俺が言いたいのはこんなことじゃない」という反感をすら抱いていたことは、紛れもない事実だろう。

 僕にとって、まさにロックの「基本」を考えるということは、そこに思いを馳せることにおのずとなってしまうのだ──どうしてレノンは史上に残る名盤であるはずの『サージェント・ペパーズ』を、自分の仕事として誇ることができなかったのか?ということに。
 事はマッカートニーとの人間的確執の次元で説明しおおせるものではない。いや、その「人間的確執」さえもが暗に示していたのは、ロックの「基本」はビートルズの中でついぞ定まることがなかった、という事実ではないか。

 言うなればビートルズは「ロック以前のロック」だったのであり、生まれ出ようとして生まれ出ることのできない葛藤(胎児)を抱えたまま、崩壊(妊娠異常による病死)してしまった母体のようなものだったのではないか。
 ただ、ロックは流産しなかった。ロックは生まれてしまった。ビートルズという死せる母体から、あるいは近親の「別腹」から、堰を切ったようにそれらは現れ、鬼子のごとく世にはばかった。だが、ビートルズ自身は、ロックになる手前で潰えてしまった夢だった。
 「ポップス」としては親しんでいるのに「ロック」としては聴けないビートルズというのは、こうした背景が、彼らの遺した音楽そのものから濃密に立ちのぼってくるからだ。それはまた一方で、ビートルズに対する賛辞を当然と感じながらも、ビートルズの「死」というもう一つの現実を現実として認めることがない、人畜無害な音楽リスナー(消費者)の立ち位置に、僕がどうしようもなく違和を覚えてしまう原因でもある。
 それをアンタッチャブルな存在とみなし、それを神話化し、あまつさえそこから生じる経済的利益に(現代に至ってもなお)群がる。そうした一連の行いによって、ビートルズという夢は見事に潰えた。潰えるべくして潰えた。だけど、そのことを彼らのファンを自称する人達は、いい悪いは別としても、どれほど自覚しているのだろう?


 ビートルズはロックの母体、それも最終的な、最も重要な母体だったことは確かだ。だが、母体であることをもってビートルズがロックの「基本」であるという言い方は、僕にはできない。母体と子どもはあくまで別の存在だ。
 これは「母体」を「基本」と言い換えるのが正しいかどうか、などという修辞の問題ではない。ロック・ミュージックというものがそのはじまりから、宿命的に抱えてしまった「ある衝動」を、若者の一過性の「熱気」のようなものとして片付けるのか、それとも表現の根本を貫く「原理」と認識するのか、そういう問題にこそつながっている。
 これはロックを語ろうとする者にとって、今でも第一級の問題だ。なのに従来、それが真正面から語られることがあまりにも少ない。

 確かに演奏形態だけを見れば、ビートルズは「基本」と言っても差し支えない、どころか「基本」そのものであるのは周知の事実だ。しかし、ロックはその「基本」を否定してでもその先に進もうとする何かである、それもまた事実なのだ。
 ビートルズが登場して数年が経過し、その間にビートルズに影響を受けた様々なフォロワー達が活躍し、今度はビートルズにフィードバックをもたらしさえ始めた。それはイギリスではストーンズであり、キンクスであり、ザ・フーでありヤードバーズであり、アメリカではジミ・ヘンドリックスであり、ドアーズであり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドであり、もろもろの凡百の“アーチスト”たちである。
 このあたりのどこかで、ロックは生まれた。ただ、その「生まれた」ことは、多くの人にとって(少なくとも重大なことだとは)意識されていなかった。
 意識されていたのは、ビートルズという母体が死につつあり・やがて本当に死んだこと、対してその同輩やフォロワー達が、「サイケデリック」の衣装をまとって増殖中である、そのにぎわいだけだったかも知れない。ともあれ、67年にピンク・フロイドが登場し、69年にキング・クリムゾンのファースト・アルバムがビートルズの事実上のラスト・アルバム『アビイ・ロード』をチャートの一位から蹴落とした(イギリスで)頃には、すでにこのやんちゃな私生児*2は、人類がかつて持ったことのない声で騒々しく語り始めて久しかった。

  母さん 僕はあなたのものだった。
  けれどあなたは 一度だって僕のものではなかった。
  僕はあなたを求めていたのに
  あなたは僕などほしくなかった。
  だから僕は 言わなければならない。
  さよなら──さよなら。      (「MOTHER」)


 ほとんど解散状態だったビートルズが70年に正式に解散し、レノンが本格的なソロ第一作『ジョンの魂』を世に問うたのはこんな頃だった。ビートルズへの決別宣言であり、レノンの「人間宣言」でもあるこの作品は、簡素極まりない、ラフ・トラックの寄せ集めのようなサウンドのアルバムである。それは当時の基準として進歩的でも何でもない、むしろ初期ビートルズへの回帰と見まがうほどの簡素な出来ばえだった。
 しかしその内実は、回帰でも復古でもなかった。ロックの誕生から遅れること数年、ついにロックの「基本」が第一人者によって刻印された、記念碑的な作品だった。それも、ロックとはこういうことをやる音楽だということを固定化するのではなく、聴き手に「はい、次は君が何か言う番だよ」と促すという意味で、それはロックの「基本」なのだった。無愛想なまでの音の簡素さは、焦点をぼかさず、その「基本」をあらがいようもなく聴き手に突きつけるために違いなかった。
 それより先行して、最先端の「ロック・ミュージック」を展開していた者さえもが、「あれこそは“基本”だよね」といって振り返る(自分の活動の方が時間的に前なのに!)ことが可能な、そうした作品がついに登場した。その意味で、僕はやはりこの『ジョンの魂』登場の瞬間こそ、ロックの生まれた日、あるいは生まれたことがついに意識された日、と言っていいのではないかと思う。本当の誕生日は誰も知らない。ただ、もう後戻りはできない、そういう何かが始まった日として、強いて記憶にとどめる日という意味で。

 もし『ジョンの魂』が存在せず、ビートルズがロックの「基本」ということにされていたら、そこから派生したどんな多様な(時には過激な)ヴァリエーションも、やがては「商品」という価値の中に収束していったかも知れない。エンターテイメント産業の一カテゴリーとして、ディズニーあたりの企業によって買い占められていたかも知れない。そうでなくても、甘酸っぱい「青春」のテイストを売りにしたアイテムか、広い意味でポップス(歌謡曲)の一ジャンルとして落ち着いていただろう(現に今“ロック”と名がついているものの大半はそういうものだ)。
 僕は別に、ポップスが悪いなんて思っていない。むしろ好きだし、人生に潤いを与えてくれるものとして、必要としている。だがロックは明らかに、それとは違う何か、いや、それ以上の何かを抱えているのだ。
 ビートルズは、良くも悪くも、突き詰めればポップスである*3。ただし、ロックという私生児の母体となったことで、他のポップスとは違う特別な地位を与えられている。ビートルズとは別に、ロックというものが存在しているからこそ、ビートルズは今でもビートルズなのだ、とも言える。
 そこまで了承してくれる人でも、そうでない人でも、僕はビートルズを愛する人のその気持ち自体を、否定するつもりはさらさらない。ただ、僕にとってはビートルズよりも、「ビートルズを信じない」と言い切った『ジョンの魂』の方がより大切な「基本」なのである。あれほど素晴らしかったビートルズを否定しなくてはならない痛みを引き受けた時、ロックはロックになったのだし、その痛みは現在進行形なのだから。

 僕は今でも、ロックという音楽形態に限らず、自分にどんな“表現”ができるかを考える時、必ず頭の片隅で『ジョンの魂』のことを思い浮かべる。もはや実際に聴かなくても、そのレコードの存在を思い浮かべるだけで、「みそぎ」になる。そういう意味では、「ロックの基本」どころか、僕にとってあらゆる“表現”の基本なのかも知れない。

  僕はエルヴィスを信じない。
  僕はディランを信じない。
  僕はビートルズを信じない。

  僕は
  ただ自分を信じる。
  ヨーコと 自分だけを──それが現実。

  夢は終わった。        「GOD」



 *1  レノンが殺された翌年くらいに出版されたインタビュー本(『ダブル・ファンタジー』を引っさげてカムバックする直前のインタビューをまとめたもの)で僕は知ったが、その時初めてそんな発言が出たわけでもなさそうだ。

 *2  同年代ということから、「父親」はボブ・ディランだという説は有力だが、おそらくもっと年上の「父親」が何人〜何十人もいて、遺伝子上も特定不可能だろう。

 *3  その「突き詰めればポップス」のビートルズですら、60年代当時の欧米社会においては「反社会的」と見なされる風潮が一方ではあった。ましてアジアの外れの島国では、ビートルズを聴く者は圧倒的少数派で、それは「不良の音楽」だという認識が一般的だった。これは当時のロック・ファンの証言から明らかである。そうした汚名(勲章?)を返上することが可能になったのも、後継の「ロック」がより過激に猥雑に発展してくれたおかげ、と言えなくもない。
ひるがえって今、ビートルズを安全な、人畜無害な「ロック」の枠の中に押し込めて楽しむことに何の疑問も浮かばない日本の一般市民が、かつてはビートルズを敵視していた市民と同じ鈍感さを引き継いでいることを、僕は痛感している。豚に真珠、猫に小判だ。


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