☆ロックは死ぬことができる

2007.4.1 レイランダー・セグンド


 かつて幾多の波紋を呼んだジョン・ライドンの有名な発言の中に、とりわけ有名なものとして「ロックは死んだ」というのがあった。
 僕は当時*1それを、従来のロックの殻を破って新たに進化した音楽を作り出したいという、彼の意気込みが言わせた言葉だと解釈していた。大方の人もそう思っていただろう。
 しかし今にして思えば、それ以前に、「ロックとは死ぬことができる音楽なのだ」という事実の方に思い当たって愕然としてしまう。
 「死ぬ」ことができるのは、それが生きているからである。当たり前と言えば当たり前なのだが、当時はその事実にあまり注目していなかった(できなかった)。まあ年齢的に、ロックにハマり始めたばかりの頃だったから、そんな問題にピンとこなくても当たり前だが。

 たとえば、「クラシックは死んだ」とか「ジャズは死んだ」とかいう言い方は聞いたことがない。もしそんな言い方があったとしても、「ロックは死んだ」とは全く異なる文脈で登場する文句ではないだろうか。
 ここでのそれはもちろん、「死んだ」というなら死んでるんだろう、何しろすごい昔からある古い形式のものだから──なんていう文脈の話ではない。そんなことを言い出したら、古今のあらゆる伝統音楽は「死んだ」ことになってしまうし、伝統の継承者が現れた、とか、伝統が見直されてちょっとしたブームになっている、なんて現象だけで、今度は「復活した」と安直に言うこともできてしまう。
 「ロックは死んだ」発言は、「ロック」と呼ばれる音楽が商業的に成功を収め、ビジネスとしての勢いを拡大し続け、形式においても内容においても百花繚乱に咲き乱れる只中で、ある意味その中心にいると目される人物の1人から発せられたものだった。だからこそ衝撃的であり、その真意をめぐって議論が巻き起こった。その議論とは「こんなに盛んなんだから死んでないだろ」なんて幼稚なレベルではなく、ではロックとはそもそも何だったのか、それが死んだというなら今あるものは何なのか、ライドンは、あるいは我々は何を目指して行くべきなのか──という問題を考えるものだったのである。そこでは「死んだ」ということは、必ずしもネガティヴなことと受け取られるばかりではなかった。むしろ、ポスト・ロックの新しい音楽を模索する傾向を後押しする面も大いにあった、ポジティヴな議論だったのである。

 逆に、「クラシックは不滅」とか「ジャズは不滅」といった言い方は、世間に往々にしてある。それに倣って「ロックは不滅だ」と言ってしまうと、何か大切なものを振り落としてしまうような気がするのだ。ロックは、──不滅であればそれでハッピー、というものだろうか?
 しばしば、ロックにはロックの「スピリット」がある、それがある限りロックは不滅だ、というような主張に出くわす。僕はそうした場面で語られる「ロックのスピリット」に対して、反感とまではいかないが、ある違和感を感じることは否めない。というのも、僕にとってロックの「スピリット」にあたるものというのは、クラシックやジャズをも含めた広い意味での「伝統音楽」が持つ固定的なアイデンティティとは違って、社会の在り様次第で様々にうつろう、「はかなさ」「あやうさ」を内包するものであり、そもそも「不滅」とは縁遠いもののように感じるからである。
 普通僕らが認識している「ロック」は、黒人音楽である“リズム&ブルース”を白人の解釈で大衆化する「批評的視点」から生み出されたものだ。それを聴いた別の白人(または黒人*2)がさらに批評的視点を加えて別の形式に書き直し、さらにそれを別の白人(または黒人)が──ということを数十年のあいだ無数にくり返して進化してきたのである。そこに変わらずあったのは「批評的視点」であって、固定的な「ロックはこうやらねばならない」という方法論ではない。
 この批評的視点をロックの「スピリット」と呼ぶなら呼んでもいいが、いずれにしろそれは自分の属する社会に対してどう向き合い・どう発信するかという問題意識につながるもので、ロックだけの専売特許ではない。現代の社会変革の先頭に立ったリーダーたち、たとえばキング牧師とかチェ・ゲバラのような人物を「ロックのスピリットを有していた」と解釈するのは勝手だが、現実にはむしろロックの方が彼らの影響を受けていたのだし、そうした人達の闘いから受けた影響をダイレクトに盛り込める柔軟性もまた、「ロックのスピリット」の重要な部分ではないかと思う。

 音楽の一形態としての「ロックのようなスタイル」が不滅であるというだけなら、それはむしろ「ポップスは不滅」という言い方の中に納まってしまえばいいと思う。実際ジョン・ライドンも「ロックは死んだ」発言とセットで、「ポップスは死なないよ。ポップスは永遠だ」みたいなことを言っていたのである。つまり広い意味で「歌」を基調とした大衆音楽としての「ポップス」というジャンルは、「クラシック」「ジャズ」というジャンル*3同様、人類が続く限り、半永久的に続くと思ってもいいだろう。そういう意味では「ポップスは不滅」であり、その中の「ロックっぽいスタイル」も不滅かも知れないということについてなら、特に否定する理由もない。
 だがライドンの「ロックは死んだ」が指していたのは、明らかにそうした演奏スタイルとしての「ロックっぽさ」のことではなかった。だからこそ彼は「ポップス」の不滅を支持しながら、ロックの「不滅」を否定できたのである。彼に言わせれば──そして当時の僕も、今の僕も感じているとおり──ロックのロックたるゆえんは、それが単なる音楽ジャンルの一形態であることを超えて「生きている」ことにある。
 その「生きている」という意味自体、かつて様々な論者によって様々に語られてきたわけだが、僕はここでは、当時のライドンの感覚(と僕が解釈したもの)と歩調を合わせて、人間の「内在的革新性」のようなものを念頭に置いている。「死んだ」というのは、ロックの根底にあったはずの「内在的革新性」が燃え尽きてしまった、ということだ。表面的には、当時の英米のロック/ポップス・シーンは、彼自身が重要な役割を果たしたパンク・ムーヴメントの洗礼を受けて、ますます多種多様の「進化」を遂げていた。が、あくまでそれは表面的なことで、内在的革新性は廃れてしまった、というのが、やはりライドンの言いたかったことなのだと思う。

 いろんなところで再三書いたが、僕は90年代以降、アメリカの西部方面を中心に勃興してきた“ミクスチャー・ロック”というものは、明らかにこの「ロックは死んだ」という現状認識をふまえて、「内在的革新性」を取り戻す動きとして出てきたという感じを強く持っている。レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン、システム・オブ・ア・ダウン、そしてアット・ザ・ドライヴ-インからマーズ・ヴォルタにいたるまで──実際にアメリカ人である彼らが、イギリス人のライドンの発言を耳にしたことがあるかどうかは怪しい。しかし、実質「聞いた」と同じことが、彼らの意識の中には起きていたに違いない。というのは、彼らの生まれ育った環境が、それを意識させずにはおかなかったはずだから。
 コマーシャリズムに席巻された80年代のアメリカでも、孤軍奮闘気味にDEVOやR.E.M.などが意識的な白人の側からの「批評的視点」を発信していた。それ以上に、国内の黒人達の新たな「批評的視点」が、ラップやヒップ・ホップの形をとって発信されていた。さらにはメキシコという、国境を接する「第三世界」がもたらす「照り返し」という要因も、この西部地域にはあった。そうした複合的な条件がもたらしたものが、第一に現状への遣る方ない不満であり、第二に「内在的革新性」を基軸に社会に切り結ぼうとする強固な意志であったとしても、何ら不思議はない。音楽ジャンルの一形態であることを超えて生きているというのは、まさにこういうことであり、交戦状態にある音楽だけがロックなのだという意味では、彼らはまさしくロックそのものだ。

 そんな彼らでさえ、足を止めて築いたものの上に安住してしまったら、また別の世代の挑戦者によって「死んだ」と断じられてしまう。ロックは生きているのだから、いつでも死ぬ可能性がある。そんな緊張感の上に成り立つのがロックという音楽の宿命であり、伝統的な形態を守り・極めること自体が一つの価値である(あるいは価値のすべてである)ような他の音楽とは、根本的に生育環境が違うというべきである。
 変わりえないものを「伝統」として大事にすることは、悪いわけでは決してない。そういう「伝統音楽」がいくらあっても、もちろん構わないのである。ただ、ロックにはその尺度を当てはめるべきではない。変わりえることの重要性=内在的革新性を身をもって示す。ロックの「スピリット」というものがあるとすれば、とりもなおさず、そういうことではないだろうか。


 *1  1979年、ライドン率いるPILが問題作『メタル・ボックス』を発表した直後の頃。

 *2  ここでの「黒人」は英米の「白人」全般に対する「黒人」全般をおおまかに指している。「アフリカ系アメリカ人」のような表現をあえて用いなかったのは、差別的ニュアンスのない「黒人音楽」という一般的表現と言い回しをそろえたかったことに加え、アメリカだけでなく、広義の「黒人音楽」に含まれるレゲエのアーティストたち、さらにはジャマイカ以南の西インド諸島出身のミュージシャンなども念頭に置いているからである。

 *3  「クラシック」や「ジャズ」にしても、境界越境型の現代的ヴァリエーションはいくらでもあるのだが、論旨と関係がないので、ここでは考えない。


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