対談企画:マーズ・ヴォルタの衝撃 (後編)
edited by レイランダー・セグンド 2007.Jan-Feb

la civilisation faible
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セオドアの脱退、オマー&セドリックの二頭体制をめぐって

TK:

しかし、セオドアの脱退はやっぱり残念だな。
セドリックのインタヴュー*1を読むと、セオドアはあんまり真面目じゃなかったみたいで、ライヴのリハの時もゲームとかしてて、一緒に音楽を作り上げてくっていう真面目さが足りなかったらしい。
まあ、セオドアの言い分も聞かなきゃフェアじゃないかもしれないけどね。

RS:

そのインタヴューは、教えてもらって早速読んだよ。「あんないいドラマーをクビにするなんて!ってよく言われるけど、マーズ・ヴォルタはセオドアより大事なんだ!」っていうセドリックの言葉には百パーセント同意できるね。
Cedric たださあ、セドリックは「オマーと俺を完全に信頼してくれないメンバーはいらない」みたいな言い方するじゃない?アルバムのクレジット見ても、マーズ・ヴォルタはオマーとセドリックのパートナーシップ、加えて今回のバック・メンバーは・・・みたいな書き方になってる。いわば二人が映画の監督で、あとのメンバーは注文どおりに演じる役者、っていう設定だよ。

TK:

ああ、ライナーにも書いてあったけど、2ndの制作過程は実際そんな感じだったんだってな。部分部分をバラバラに録音して、あとで編集でつなぐっていう。

RS:

全体を把握してるのはオマーたちだけで、他のメンバーは自分が今どの曲のどのパートを演ってるかわからなかったっていうんだから。完全に映画撮影の手法だよ。いや待てよ、映画だったら俳優は全体の台本を普通もらうか。

TK:

でも、そんなに監督から俳優へ、上意下達式に「命令に従え」って感じじゃないだろ。もっと柔軟な関係じゃない?

RS:

たぶんね。ただ、ここぞってところでは、あの二人は絶対に妥協しないでしょ。
俺はそのやり方が悪いとは別に思わないんだよ。民主的な制作環境で、必ずしもいい音楽が生まれるわけでもないしね。ただ、セオドアほどのずば抜けた才能の持ち主になってくると、やっぱり「しょせんは二人の言われるまんま」っていう立場に耐えられなくなったんじゃないかなって。それでスネちゃってたとか。ちょっとナイーヴな解釈かね。
なんか、タイプとしては昔のジャコ・パストリアスとかを思い出しちゃってさ。もともと一つのバンドに閉じ込めておけるようなタイプとは違うっつーか。ドン・ファンっぽいところも似てるし(笑)
ちなみに去年の来日公演では、もう新しいドラマーになってたわけだけど、そんなに違和感はなかったっていう話だよね。

TK:

『アンピュテクチャー』では、すでにセオドアなしでもいけるような方向性を試している気がするよ。「ヴィサラ・アイズ」なんかはその成功例だと思うね。
セオドアの後のドラマーもすぐクビにしたり、苦労してるようだけど、ぜひいいドラマーを見つけてもらいたいね。*2

RS:

クリムゾンから御大ブラッフォードを拉致してくるとか(笑)

TK:

それはリサイクルってやつだな(笑)

RS:

そうそう。資源は有効に使わなきゃ。
だってさあ、クリムゾンっていうバンドは今も現にあるわけだけど、俺らから見ればマーズの方がよっぽど“クリムゾン”なんだから。

TK:

クリムゾンが本来やっていなきゃならないことを、マーズがやってるって感じかもね。


ふたたびクリムゾンとマーズ/言葉と肉体性

TK:

そのクリムゾンだけどさ、かつてのクリムゾンって、アカデミックな音楽ってとらえられがちだけれど、俺は究極なまでの“肉体性”の音楽だと思ってる。人間が楽器を演奏することで何ができるのか、それを突き詰めたのがクリムゾンだと思うわけ。実はワイルドで激しい、生なバンドなのだと思ってるんだ。その突き詰め方が、並のバンドとはケタが違うということで。

RS:

うん・・・それは当ってるけど、あくまで半面だと思うな。っていうのは、第一期には、P・シンフィールドの世界観がのしかかってて、ステージのライティングにいたるまで、なんやかやと全体を規定してたわけだから。フリップの中にある「肉体派」の部分と、シンフィールドの非・肉体的な知性とがぶつかって、火花を散らして、あの画期的なスタイルが生まれたとも言える。どっちかだけではクリムゾンはクリムゾンになれなかったはずだよ。

TK:

ただ、フリップや他のメンバーの“肉体性”が暴走してるところもずいぶんあったよ(笑)

RS:

『アースバウンド』なんて、シンフィールドからすれば許し難い暴走なんだろうな(笑)
でも、その後フリップはシンフィールドと手を切って、思う存分“肉体性”の追求にいそしんだかと言えば、そうでもないじゃん?結局R・パーマー・ジェイムズやA・ブリューといった、なんていうんだろ、コンセプト・リーダーではないけど、コンセプトの言語化を担う人材とタッグを組んでる。肉体性の音楽、と言っても、言葉とはつかず離れず、なんだよ。離れたら、それこそフリー・ジャズや実験音楽とかの方向に行くでしょ?ソロ活動ではそういうのもやってるけど、クリムゾン名義では決して「言葉」を放棄していない。「言葉」の規定力が、音楽の“肉体性”を逆に引き出すというか、突き詰める原動力になってるような、そういう緊張関係にあるんだよね。
ただその「言葉」が、ブリューになって以降、どうもなあ・・・「緊張関係」どころか、むしろ脱力しちゃう(笑)

TK:

確かにロックの、特にプログレの面白さって、一つにはその緊張関係だったよね。
ところでひょっとして、マーズ・ヴォルタにとってのシンフィールドは、例の自殺したフリオ・ヴェネガスっていう人だって思う?詞を実際に書いているのはセドリックにしても。

RS:

1stはその彼へのレクイエムという形をとっていて、彼の世界観をセドリックが言葉におこしている、って話だよね。シンフィールドと違って、実際にその人と共同作業してるわけじゃないけど、常にその人の視線がそこにある。全曲の歌詞が手に入らないから、よくはわからないけどね。
たださ、もう1人、サウンド・マニピュレーターを務めてたジェレミー・マイケル・ワードっつう人もいたじゃん?この人は「言葉の人」ではないんだろうけど、バンドと一緒に仕事してた限りにおいては、こっちの方がシンフィールド的な存在だったかも知れないよね。

TK:

ああ、で、その人も死んだんだろ。

RS:

1st作った後にね。つまりこのバンドは、早い段階で大事な人間を2人も失くしてるわけだ。でさ、失くした結果どうなったかというと、その死んだ人間がセドリックやオマーに乗り移って、前よりパワーアップしてるんじゃないかって。これってなんなんだろうな。
俺、初めて『フランシス・ザ・ミュート』を聴いた時、まるで幽霊の立場で歌ってるみたいだと思ったのは、実際歌詞の中にそういうフレーズがあったせいだけじゃなくてさ、詞の雰囲気というか、スタンスがすでにそう感じさせたんだよね。死後の世界から、「ああ俺の人生はなんてくそったれだったんだろう・・・ところでお前は違うんか?」って。そういう形の現世批判になってたりして(笑)

TK:

ただ、だからといってネガティヴとか暗いとかっていう言葉だけでは説明できないパワーを感じるね。

RS:

これが現代に生きる人間のぎりぎりの表現っていう、迫力があるよね。
要するに真面目なんだ。真面目すぎて息苦しくなるところはあるかもしれないけど、それは歌詞の字面だけ眺めてる場合の話であって、音楽は雄大で解放感があるからね、とんでもなく。
考えてみるとさ、マーズの場合“肉体性”の追求っていうのが、肉体を喪失したところから始まっているわけだよ。フリオ・ヴェネガスは飛び降り自殺して、肉体から解放された。「サイカトリズESP」って曲は、それを一種意図的な「幽体離脱」に読み替えてるような感じだよね。

TK:

「I've defected(俺は離脱した)」っていうサビだろ。

RS:

だけど死をロマンチックに賛美してるというんじゃなくて、死を乗り越えようとするものすごい生命力として音楽が現れてる。
アルバムのグラフィックからもそれがうかがえると思うよ。

TK:

1stの?

RS:

うん、あの棒人間みたいな絵が散りばめられてるじゃん?立ったり座ったり、いろんなポーズとってる。妙にリアルな棒人間なんだけど、あれって何か、人間の中に潜在してる「生命の素」みたいな表現に思えるんだよな。人の中には誰でもこういう「動きたい!」っていう意思が眠っている、みたいな。

TK:

そういえば、1stの歌詞ブックレットのちょうど真ん中に、お互いの手首をつかんだ2本の手の絵があるじゃない?

RS:

ああ、あの水中から引っ張り上げようとしてる?

TK:

あれを見て、娘が面白いことを言ってたよ。「最初は違う人間の手だと思ったけど、これはきっと同じ人間の手だよ。浮かぶも沈むも自分次第だってことじゃない?」だって。なかなか鋭い意見だと思ったよ。

RS:

鋭い!そう見たってちっとも悪くないよな。むしろ「内側から自分を引っ張り上げる」っていうのは、マーズの音楽の本意に沿ってる。さすがアートのわかる娘さんだな(笑)
3rdの『アンピュテクチャー』っていうタイトルもさ、意訳すると「四肢切断者」って感じでしょ。なんか俺、ヴァーチャル・ゲームの前で「退化」していく先進国の人間に当てつけてるように聞こえるんだけど。それで、音楽はさらに不気味なミュータントみたいな感触になってるよね。ミュータントでも化け物でも何でもいいから命よ、蘇れ!みたいな(笑)それも逆に言えば、死と停滞が蔓延している現世からの、裏返しの欲求だと思うんだよ。


ロックを問い直す そして船は行く

TK:

マーズ・ヴォルタがすごいのは、聴いていて気恥ずかしくなる部分が皆無ということ。プログレにありがちな、悲壮感をただよわせて泣かせるとか、ヘビメタ風カタルシスに走るとかが全くないよな。そういう方向にまとめる方が楽なはずなのに、こいつらは終始一貫して冷徹だわ。

RS:

Omar 音楽的なルーツにサルサがあったり、メキシコとの国ざかいに生まれ育ったという環境のせいもあるのかもしれんけど、従来のロックン・ロール・ファンタジー、プログレの自己陶酔とは無縁だよね。
でもロックが時代を反映した音楽であるっていう以上、こういう冷徹なスタンスこそが当たり前なんだよ。そういうスタンスがアメリカの、少なくとも西部方面で強力になっているというのが、俺がレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやシステム・オブ・ア・ダウンを通じて確認したことだったんだ。その中でも、マーズの音楽性は群を抜いてると思うけど。

TK:

俺にとってロックっていうのは、一言で言ってしまえば問題提起だ。こんなもんじゃねーだろ?おまえは何やってんだ?おまえはどうするんだよ?という提示なんだと思う。
そんな音楽は他にないぞ。キューバ音楽はかなりロックに近いものがあるけど、それでも聴き手は音楽の中に安心してすっと入っていけば済む。ところがロックはこっちから入っていくんじゃなくて、向こうがこっちに出てくるんだよ。
マーズ・ヴォルタからは、銃口をつきつけられているような気がするよ。答えるまで逃げられないというかさ。

RS:

きっとね、やつらはその銃口を自分たち自身にも向けてるんだと思うよ。だからスリリングな音楽が作れるんだ。
個人的には俺、1stを聴いていて、よく「なつかしい」って感じるんだよ。それは昔のロックの何に似てるからっ、ていうこととは別にね。実はさ、昔俺が高校とか大学の頃、思い描いていた「未来のロック」のイメージ、「21世紀に俺はこういう音楽をやるんだ!」なんて夢想していたロックのイメージそのまんまなんだよね、あの1stの音の世界は。だからすごく新しいのに、同時になつかしい。会ったことないのになつかしいという、既視感に襲われる。
ただ、2ndも3rdもまだその「なつかしさ」がうっすら続いてたけど、セオドアも抜けたことだし、こっから先は本当に未知の世界じゃないかな。

TK:

この姿勢でずっといくのはシビアなことだろうね。でも、煮詰まることなくもっともっと音楽を突き詰めてもらいたいね。今のスタイルを様式にすることなく、型を破り続けてもらいたい。

RS:

うん、自分らで自分らのコピーになるようなことはしないでほしいな。そういうやつ多いんだけど(笑)

TK:

同時代にこんなやつらがいるというのは非常に嬉しいね。俺も襟を正して生きなきゃいかんと思っとります。

RS:

いや、おたくにそう言われると、こっちはなおさらそう言わざるをえないやんか(笑)プレッシャーかけんといて。


*1

ドイツVisions誌のセドリック・インタヴューの英訳(部分)。大正おかん座さんのブログより。
http://fugazo.blog4.fc2.com/blog-entry-783.html

*2

2007年に入って22才の若手Thomas Pridgenが新ドラマーとして加入した。15歳でバークリー音楽大学の奨学生となったという、早くから天才少年と騒がれていたプレイヤーらしい。


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