「無謀な戦争」

2005年8月某日 レイランダー・セグンド

la civilisation faible
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 『沈黙の艦隊』などで知られる漫画家かわぐちかいじ氏のインタヴューが、「創」という月刊誌に載っていたのを比較的最近に読んだ。といってもパラッと立ち読みしただけだから、ほとんど読んでいないに等しいのだが、印象に残った発言があった。
 日本の過去の戦争についての自分の考えは、たとえば小林よしのりなどとは「アプローチが違う」とかわぐち氏は言う。あれは無謀な戦争であり、「なぜ昔の日本はあんな無謀な戦争をしてしまったのか、という気持ちがある」のだそうだ。
 別にかわぐち氏独自の切り口でも何でもない。戦後長らく、一般的にくり返し表明されてきた、ほとんど聞き飽きたと言っていいくらいのフレーズだ。
 なのに、どうして今さら印象に残ったのだろう?
 別に“あの”かわぐちかいじがそういう考えを持っていたのが意外だった、ということではない。いくらなんでも、僕もそこまで了見が狭い男ではない。実際彼のマンガは読んだことがないので何も言う資格はないし。とにかく、そういう次元の話とは微妙に違うのだ。
 それはきっと、この何気ない穏当な発言――おそらく大多数の国民が共有することを厭わない――の中に、真実も虚偽も、痛みも不感症も、慨嘆も逃げ口上も、およそ今の日本が進んでいる路線を追認するベースのようなものが、こっそり盛り込まれているような気がしたのだ。それで、ハッとしたのだ。

 このような穏当な発言に抗うことは難しい。抗う必要を感じることがまずない。
 どうとでも解釈できるし、どっちの方向にも引っ張っていける。自分は傷つかずに、なおかつ感情は高まる。感情の高まりが、自分のモラルを証し立てているような気にもなれる。
 だからこそ我々は批判的に考えなければならない。そしておそらく、穏当な発言に批判的に立ち向かうには、根源的な問いを発しなければならない。

 「なぜ昔の日本は無謀な戦争をしてしまったのか」。
 簡単である。それは、「無謀じゃない戦争」ならやってもいいと思っていた国民が大多数だったからだ。「無謀じゃない戦争」をジャンジャンやるのが現実的なこと、理にかなう、また利にかなうことだと、大多数が信じ込んでいたからだ。それ以外の「現実」を知らなかったし、知ろうともしなかったからだ。
 だから本当はそれを問うべきなのだ、なぜ「無謀じゃない戦争」ならやっていいと思い込めたのか。なぜ戦争そのものが「無謀」だと思わなかったのか、と。
 これを考えなければ、日本の近現代史を考えることにならない。いや、おそらく世界の近現代史でも同じことだろう。

 本当に、なぜ「無謀」だと思わなかったんだろう?江戸の太平の260年間に、「いくさはむごい」という意識が庶民の中から薄れてしまったからだろうか?でも幕末の戊辰戦争だって、相当凄惨な戦いだったと聞く。
 海の向こうでやる戦争は別ということか。しょっぱなの日清戦争で面白いように勝ってしまったことで、国民の間にイケイケ・ムードが広まっちゃったのがそもそも悪かったのか。でも次の日露戦争が始まる頃には、内村鑑三や与謝野晶子みたいな著名人が堂々と反戦を訴えていたのである。
 その日露戦争は、勝ったには違いないけれど、ロシアが負けたのはバルチック艦隊を失ったからだけではなく、日本人はどんなに犠牲を出しても負けたと言いそうにない(戦死者は日本の方が多かった)、こりゃキリがないわという判断もあったらしい。国内中枢部が不穏な情勢で、極東のドンパチに構っていられなくなったこともある。負けても講和条約ではさほど損はしなかったので、名より実を取った、とも言える。しかし、とにもかくにも戦争というものが、より生命の軽視に徹することが出来た方が勝つ我慢比べゲームだとしたら、まさしく日本軍は勝利にふさわしかったのかもしれない。

 だが、そんな多大な犠牲を払って「勝利」したにもかかわらず、賠償金も取れないという事態を知るに及んで、「日比谷焼打ち事件」を起こした人たちを筆頭に、多くの国民は、じゃあ一体この戦争は何の意味があったんだと怒った。
 何の意味があったかと言えば、歴史修正主義者の言説を待つまでもなく、世界中の被植民地住民が、「欧米の帝国は無敵ではないぞ、俺たちにもやれるぞ!」と希望を持ったのである。それは掛け値なしに事実だろう。
 だが日本の民衆は、いやそもそも首謀者である権力者たちだって、そんなことは知る由もない。彼らは他国に対する善意で事を進めたわけではないのだから。
 少なくとも権力者たちが知っていたのは、同盟関係にあった英国をはじめ列強が、これで日本を同業者――すなわち帝国マフィアのニューカマーとして、分捕り合戦参入を認めてくれるだろうということ。そして政府と仲良しの国内財閥が儲かったこと、である。生活苦にあえぐ多くの国民が、ではない。
 もちろん、風が吹けば桶屋が儲かるのことわざどおり、財閥が儲かればめぐりめぐって国民生活が豊かになるという、上から下へ式の「利益還流説」は今も昔も健在だ。ひょっとしたら今の方がその信望者は多いかもしれない。だがとにかく、日露戦争後の日本は、好景気とは縁がなかった。農村の疲弊は著しく、ロシアとの条約で手に入れた南樺太や関東州(満州)からのアガリも待てず、5年後には韓国併合によって、朝鮮半島を事実上私物化するに及んでいる。
 ならばこの時点で、すでに多くの国民にとって「結局戦争で状況を切り開くなんて無謀なんだ」「少なくとも俺らの生活とは関係ないところでの“利益”の問題じゃねえか」みたいな認識が、普通にあっても不思議ではない。
 現に大正デモクラシーの潮流などを通じて、この帝国主義路線に対する根本的な疑義は各方面からなされていた。維新期において日本は列強との衝突を避け、国内の政治改革を先取り的に行うことによって、平和裏に近代化を遂げて、アジアの中で稀有な立場に立つことができた。しかしその後、植民地主義者に侵略されないために、自らが植民地主義者になってしまった。西洋のくびきから逃れるために、自らがくびきをかける側に回ったと言っても同じだ。それで本当にいいのか?という疑義である。日本が欧米列強に肩を並べてアジアに君臨するなんて、(倫理的にはどうあれ)結局無謀じゃないのか?という疑義である。

 それを「無謀じゃねえんだよ、ほれ、も一つやってみせるぜ!」とやってみせたのが、満州事変である。あるいは、無謀でも何でも、やらなきゃ食ってけねえんだ、ほらよ!だったかもしれない。いずれにしろ、軍部の暴走を、無策の政府は追認するしかなかった。
 この大陸侵略の路線こそは、日露戦争に輪をかけて無謀な大博打だった。短期的にはともかく、長期的には絶対負けると分かっている博打だから、そもそも博打とすら呼べない気もするが。
 「無謀である」ということを「採算が取れない」と言い直すとわかりやすい(食い物にされた人たちのことを思えば不謹慎な言い方だが)。軍部も政府も、それを粉飾に次ぐ粉飾決算でごまかし続けた。政治的にも経済的にも、採算が取れない強引な占領と植民地経営。人道的にはなおさらだ。その粉飾決算の内実は、もっぱら他国の民衆の生命・財産の損失と資源の略奪の上に成り立っていたのだから。実情を知る人は、情報・言論統制の徹底が進んだこともあって、明治期や大正期に比べるとさらに少なくなっていたはずだが、それでもいるにはいたようである。どこにいたかといえば、もっぱら監獄の中に。
 そして、いよいよ米英を向こうに回して太平洋戦争を始めてしまった。この開戦についても、成り行き上仕方なかったとか、いやむしろアメリカにはめられたんだとか、いろいろ弁解の余地があるとしても、問題はあくまでその時点ではじめて「無謀」だったのではない、ということだ。
 日本は、何度も何度も無謀をくり返してきたのである。そのツケをいよいよ自国の一般民衆が直接血で払う番になって、ようやく「無謀」だったことに気がついた、あるいは認めざるを得なくなった、というだけなのだ。

 気がついたら駆け足で大雑把に歴史を振り返ってしまった。これ自体が無謀な試みだったという気がしないでもない・・・。
 とにかく、だから最初に引用した「なぜあんな無謀な戦争をしてしまったのか?」という問いかけは、それが米英という最強タッグに負けたことを受けての感慨にとどまるなら、何の積極的意味もありはしないのだ。清やロシアに勝っていた時はよかった、ではない。一見採算が取れているように見えながら、すでに負債を作り出していたのである。そしてその負債を自分たちの見えないところに押しやってしまう見えないシステム(それが帝国主義であり、帝国主義を運用する主体を国家と呼ぶ)に対して、対抗する術を多くの国民が持たなかったのが、この時代の人々の限界だった。
 その代わりに彼らが持っていたのは、「無謀じゃない戦争」をやることは現実的なこと、理にかなう、また利にかなうことだとする幻想のシステムだ。彼らはそれ以外の「現実」を知らなかったし、知ろうともしなかった。今の我々が「いったいなぜ?・・・」と首をかしげてしまうような「現実」を、彼らは疑おうともしなかった。あるいは疑うことはあっても、突き詰める余裕がなかった。
 そうだ。そして未来の世代は――未来にも世代が続いているとして――今の我々を見てどう思うだろう。我々は新たな「現実」とやらに捕らえられようとしている。未来の世代が見たら、どこにそんな「現実」があったんだろうと、首をかしげるような「現実」に。
 気のせいだろうか。気のせいであってくれたら、と思う。でも、そうではないと知らせる材料が日に日に集まってくるようだ。
 少なくとも次のことだけは、今からでも口をすっぱくして言っておくべきだと僕は信じる。

―「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。
(戦前の映画監督、伊丹万作が終戦から間もない1946年、病床で書いた『戦争責任者の問題』より。全文はこちらで読める。江原元氏「ジェラス・ゲイ」提供)

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