イスラエルに経済制裁を!
ガザ侵攻と「北のミサイル」―@

2006年7月11日 レイランダー・セグンド

la civilisation faible
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テロに対する考え方には、民衆には不利で、政府には有利な偏見があるわけです。
現実には、公式の国家活動とテロ活動を比較したとき、人命損失の割合は、千対一なのです。
非公式のテロリズムで失われた人命ひとりにつき、公式の国家テロによって千名の命が失われてきたのです。
イクバール・アフマド 『帝国との対決』 二章 ゆがめられた歴史 より


 前回の転載記事に続いて、今度は自分の言葉で情勢を論じたい。
 簡単に経緯から。
 今年初頭、公正な選挙によって選ばれたパレスチナ自治政府は、イスラム団体ハマスが多数を占め実権を握ったことで、発足当初から欧米諸国の経済制裁の対象として事実上扱われてきた*1。実際にはこの間、ハマスは一切の軍事行動を控えてきたわけで、制裁を受ける明白ないわれなどないにも関わらず、である(Link Specialページの「第一回 パレスチナ選挙結果をめぐって」を参照のこと)。イスラエルはこれを追い風に、「テロリスト暗殺作戦」という名目で、度重なる無差別攻撃をパレスチナ側に仕掛け、ハマス政権に揺さぶりをかけ続けた。普通に考えれば、こっちこそが制裁の対象となるべき純然たるテロ行為である。
 6月に入り、死傷者(ほとんどが無実の一般市民)が続出する最中、ブチ切れたハマス系武装組織の一部が、イスラエル兵一名を拉致*2。はじめからハマス転覆を狙っていた形跡が濃厚なイスラエル当局は、待ってましたとばかりにガザ地区への侵攻を開始。これは2004年の大規模侵攻に匹敵するもので、多数の犠牲者が出るだけでなく、もともと脆弱なガザの住民の生活基盤は、今度こそ破局的な被害をこうむるかもしれない。

 長年いわゆる「パレスチナ問題」に付き合ってきた人間なら、これらすべてが昔からのイスラエルのやり口だということはもちろん知っている。前回文章を転載させてもらった早尾氏の一つ前の論説でも指摘されているとおり、イスラエルは、例えば「ハマスがイスラエルを承認しない」から敵視するのだと言い張りながら、実はハマスに「イスラエルを承認」されたら困る(これまでどおりの占領政策を続けられなくなるので)からこそ、ハマスを潰しにかかっている。
 いつもながらのウンザリするやり口。それに加えて、このやり口が引き起す「紛争」「衝突」を伝える日本のメディアの語り口、つまり「喧嘩両成敗」の話にまとめてしまうやり方、これも全く同じ。犯罪的なまでに、同じ。彼我の圧倒的な暴力レベルの差を「両成敗」で落着させて何も感じない無神経さは、ベトナム戦争を筆頭に、現代史において占領する側・搾取する側のメディアの一つの特徴ではあるが、パレスチナに対してのそれはもうマンガの世界に近い。尊敬に値するほどの偽善、という言葉が思い浮かんでしまう。
 どっちがいい・悪いということで言えば、どっちも悪いのは確かなのである。ただ、どっちがより悪い行為をしでかしているかの質・量の比較で言ったら、イスラエル側の質・量が圧倒的なのは明白である。それを調べるのに、特別な教養や解読技術が必要なわけではない。しかしそんなことより肝心なのは、その悪い行為によってどっちの住民がより苦しんでいるか、その質・量の比較である。それは受けた悪い行為の質・量に、相当控えめに言っても「比例している」。つまり、圧倒的に苦しんでいるのはパレスチナ人である。
 単にパレスチナ人が被害者だからかわいそう、ということだけを言いたいのではない。パレスチナの人々は何だかんだいって、「オスロ合意」以降のここ十数年は特に、世界の様々なスタンスを学び、自分達を内側から押し広げ、一様ではない身の振り方について必死に可能性を探っている。少しずつ少しずつ、彼らは変わろうとしてきた。そうでなければ、生き残れないからだ。
 それにひきかえ、日本の大手マスコミはいまだ基本的には「アラブとユダヤの血で血を洗う宿命の抗争/中東は怖いところですなあ」みたいなフィクション*3を前提に、紛争当事者双方に自制を求める、それが誰もが納得できる公平な解決、という与太話をくり返している。
 たとえばアムネスティなどの人道団体が「当事者双方」に自制を求めるというのは、双方が手を引かない限り、たった今危機にさらされている人の命を現実に救えないからだ。緊急の場合、紛争に至る歴史的・政治的なプロセスなど問題にしている暇がない、それは救援団体の戦術的判断として仕方のないことだ。
 しかし、マスコミが「現実的判断」という言葉の下に思考停止し、歴史的・政治的な因果連関を追及することを放棄してしまったら、一体何のためにマスコミは存在するのか。すなわち占領者に与し、すなわち権力の代弁者として、新たな悲劇を再生産するマシーンの一部に成り果てるだけだ。早尾氏の指摘はまったく正しい。
 それによって誰が得をするのか。それを考えれば、同じセリフ(プロパガンダ)をくり返しさえずっているオウムの飼い主がわかろうものだ。ただオウム達自身は、自分達がそれを「言わされている」とは思っていないのだろう。自分達は「客観的事実」を元に、公正中立な立場で報道している善良なマスコミであるはずだから。しかし支配者のテラスの鳥かごの中では、パレスチナの子供達の耳をつんざいている銃撃・爆撃の轟音より、公式見解を滔々と語る飼い主の声のほうが大きく聞こえる仕組みになっているのだろう。
 しかしジャーナリズムとは、テラスのオウムではなく、炭鉱のカナリアではなかったのか。違ったらごめんなさい。理想主義でわるうござんした。
 
 「パレスチナ問題」とは何か。もしも小学生にもわかるように簡単に説明せよということなら、僕はこう答える。
 「イスラエルという国がパレスチナ人のいろいろな権利を踏みにじっている問題だよ」と。
 これが正しくない、単純化しすぎだ、感情論だ、誇大表現だという人がいるなら、そんな人の知識とか知性とかを、僕は信用しない。その人はインチキ野郎である。
 これは数十年来変わることのない、明白な事実だ。この基本的な前提を認めることからしか、この問題の解決はありえない。逆に言えば、この前提をどこかに追いやった上での一見「公平な」解決が、おしなべて偽善的な結果しかもたらさなかったという経験を数十年来味わい続けているのが、パレスチナ人と呼ばれる人々なのだ。
 「イスラエルにも事情がある」と言い返されたら、それはそうだと太鼓判を押そう。理由もなしにあんな残虐なことができるとしたら、本物の異常者である(そう疑いたくなる瞬間も多々あるが)。
 どんな犯罪にも事情がある。どんなテロにも理由がある。だがそのすべての事情・すべての理由をもってしても、イスラエルが過去ならびに現在行なっている、そして未来にまで延長しようとしている行為につりあうとは、とうてい考えられない。政治的にかなり特殊な偏光フィルターを装着している人間でない限り。
 これを言うのは決して僕が最初ではないが、「パレスチナ問題」とは本当は「イスラエル問題」なのである。もっと源を遡れば「ヨーロッパ問題」とも言えるのだが、そこまで遡ると逆に論点がぼやけてしまう。今できることの第一歩として、我々日本人がオウムの合唱に耳を貸すのをやめ、これを「イスラエル問題」として意識すること、あらためてそれを強調したい。


*1 日本政府も、基本的にこれに同調している。
  ちなみに小泉首相はイスラエルに向かう前の最近の会見でガザ侵攻に触れ、「当事者双方に自制を求める」という型通りの声明に加え、危機的状況にあるガザの住民に援助するのにやぶさかではないが、ハマスではなく住民に確実に物資が行き渡るようにしたい、などと発言した。
 要するにハマスを北朝鮮の独裁政権あたりと同列に考えている、粗野で的外れな発言だ。ハマスは自民党と同じく、(ある意味自民党以上に公正に)選挙で選ばれたパレスチナの代表である。しかも彼らは欧米日の援助の下で腐敗した前政権(PLO主流派であるファタハ―かつては彼らもこれらの国々によって“テロリスト”と呼ばれていた)に嫌気がさしたパレスチナの人々が、そのクリーンさを買って選んだ面が大きい。アメリカやイスラエルの手足と化した「穏健派」の誰それよりも、本当に苦しんでいる人のために馬鹿正直にお金を使う可能性の高いのはハマスのほうだ。
 逆に言えば、だからこそハマスは米・イ両政府に目の敵にされる。小泉(とそのブレーン)がそんなことも知らないで「ハマスを通さずに・・・」などと言っているのであれば、本当にどうしようもないイロモノ政治の恥の上塗りだ。しかしむしろ、無意識にアメリカという飼い主の意に沿うことをしゃべるのが、長年培われた畜生としての習性になっているのだろうと、僕は推測する。

*2 この「拉致」「誘拐」という言葉遣いについては、兵士なのだから捕虜になったというのが正しい、という主張がある。僕もそう思う。彼は休暇中に海岸を散歩しているところを捕まったのではなく、基地にいるところを襲撃され、捕まったのである。その基地の具体的な機能はどうあれ、イスラエルによる公然の「暗殺作戦」が続いている最中、反撃の一環として捕らえた兵士は、パレスチナ人社会からすれば「交戦中の敵兵」なのだから、一般人に使う「拉致」のような言葉をもってくるのはおかしい。おそらく国際法上もそうなるのではないか。
 ただその国際法に厳密に照らせば、パレスチナ側は相変わらず自分たちの正規軍を持っていないので、正式な国家相手の「戦争」はいずれにしろ成り立たない(成り立たせてもらったためしがない)という話もある。そのパレスチナ側の弱者としての特性が、相手側の兵士の立場を有利に規定するように反映しているのだとしたら、あまりにも残酷で皮肉だ。
 法的な文言についてはよくわからないが、それでも僕はこの事件に関して「拉致」の言葉は控えようと思う。でなければ、今以上の不公平を助長することにつながってしまうかもしれないから。

*3 調べようと思えば誰でも調べられる普通の事実は、20世紀後半にイスラエルという国家が移植されるまで、パレスチナはおろかアラブ世界全域でアラブのムスリムとユダヤの間の宗教紛争など一つも起きていない、ということだ。ヨーロッパからの十字軍侵攻を除けば、ムスリムとキリスト教徒との戦争すら起きていない(オスマントルコのヨーロッパ侵攻などは宗教的目標とは事実上関係がない)。
 起きていたのはむしろムスリム同士の内紛(たとえばシーア派の反乱など)だった。ウマイヤ朝以降のアラブ世界では、異教徒同士の共存こそが歴史的伝統である。中でもパレスチナはその象徴とも言うべき土地柄で、それを守っていくことが住民の誇りだった。
 このことを踏まえずに、「パレスチナ問題」を宗教問題のように語る者がいるなら、その人は完全なモグリである。

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