イスラエルに経済制裁を!
ガザ侵攻と「北のミサイル」―A

2006年7月16日 レイランダー・セグンド

la civilisation faible
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【ジュネーブ6日共同】国連人権理事会(47カ国)は6日、パレスチナ情勢を討議する特別会合を開き、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ侵攻とパレスチナ人に対する人権侵害を非難する決議を、賛成多数で採択した。
決議案はアルジェリア、パキスタンなどイスラム諸国が中心になって提案。今回のガザ侵攻の発端となったパレスチナ武装勢力によるイスラエル軍兵士の拉致と、この兵士の解放要求への言及がないため、日本、フランスなどは「バランスを欠く」として決議に反対した。
(共同通信社) 太字はR.S.


 今回の北朝鮮によるミサイル発射実験は、2つの意味でタイミングが絶妙だった。

 第一には言うまでもなく、アメリカの独立記念日であり、1年ぶりのスペースシャトル「ディスカヴァリー」の打ち上げと同じ日を選んだこと。これはまさに当てつけに「選んだ」に違いない。ただし、シャトルからの落下物(断熱材の一部?)があったのは偶然で、まさかそこまで北朝鮮当局が計算していたとは思わない。それでも、空から降ってくる人工的な危険物という点では変わりないよなーという、皮肉な感慨が思わず沸いてきてしまった僕はひねくれ者だろうか。
 もちろん「用途」が違うのは百も承知だし、アメリカは周辺国への通達を含め、きちんとルールにのっとった上で実験を行った。安全対策にぬかりはないはずだ。しかし、だからといってNASAが打ち上げるものはいつでも無条件に「平和目的」で、中国や北朝鮮が打ち上げるものは「軍事利用」できるから怪しいという決めつけは、もちろんおかしい。なぜなら、NASAというのはもともと軍事技術開発と分かち難く結び付いている機関なのだし、日本の宇宙開発だって同様である。日本の人工衛星打ち上げを、世界のどこの国もが温かい賞賛の目で眺めてくれるわけではない。「いずれ日本があの技術力をもって国産ミサイルやロボット兵器の開発に転じたら・・・」と考えて、戦々恐々とする国だってある。なんたって、日本には前科があるのだし*1
 「核問題」にしてもそうだ。六ヶ所再処理工場の問題を筆頭に、日本にだって核問題はある。いやはっきり言えば、かけだしの核開発国であるイランや北朝鮮よりも、日本の方がはるかに深刻な問題の当事国なのだ*2

 話を戻す。今回の発射実験の場合、落下地点はロシア寄りの海上で、前回のように「日本の頭越し」という露骨な挑発はむしろ控えたようだ。その点では、近海にミサイルが落ちたというナホトカの住民が怒るのは無理もないとして、日本人は前回ほどビビる必要はなかったわけだ(発射の事前情報も今回は多かったし)。
 別に僕は、論点をすり変えて北朝鮮をかばうつもりなど毛頭無い。問題は北朝鮮がピョンヤン宣言をはじめとする国際的な合意を踏みにじって、今回の実験に及んだという点であることくらい、わかっている。彼らは一言で言って、国際的な道徳を犯している。僕はそれを認める。今回の発射実験以前から、それは確実にそうだった。
 ただ、確実に言えることは他にもある。件の拉致被害者を除けば、別に日本人は北朝鮮の違法行為によって特に被害をこうむっていない、という事実である。被害をこうむる可能性は猛烈に吹聴されているけれど、実際にその被害にあった人はいない。もしかしたら、朝鮮総連あたりと利害を争っている団体や企業(?)は、何らかの被害とかとばっちりなどを受けたことがあるかもしれないが、僕はよく知らない。とにかく、一般の日本人にとっては、あの気の毒な拉致被害者とその家族を除けば、具体的な被害の経験は皆無なのである*3

 今回のミサイル実験のタイミングが絶妙だったと僕が感じた第二の理由は、そこにある。同じ頃、少なからぬ国際社会の良心的な部分が、パレスチナに対するイスラエルのやりたい放題の攻撃に、居ても立ってもいられない気持ちを味わっていた。
 そんな一人として僕は、例によって実感してしまったのである、これ(発射実験)は危機と呼ぶべき事態ではないと。つまり危機とは、イスラエル軍によって実際に侵攻され、死んだり傷ついたり家を失ったりインフラを破壊されたりしている、ガザの住民が陥っている事態のことである。
 もし日本が危機だというなら、ミサイルが飛んだその日に、僕はTVでワールド・カップを観ることはできなかっただろう。もし危機があるなら、TVはプロ野球や懐メロ番組や芸能人料理王決定戦を放映してはいないだろう。
 僕は冗談を言っているのでもないし、そうした番組を放映することが不謹慎だと言いたいわけでもない。僕が言いたいのはむしろ、TVのこうした番組を、パレスチナ人だって観たいに違いない、ということだ。
 でも彼らはそんな娯楽を楽しむことはできない。なぜか。端的に言って、電力が断ち切られたからだ。もっと包括的に言えば、彼らは本当の危機の只中にいる(捨て置かれている)からだ。ああ、これこそ言うまでもないことだったかもしれない!
 彼らのもとには現実の銃弾が、現実の砲弾が、現実のミサイルが飛んでくる。「脅威」が、ではない。彼らの頭上に飛び交う戦闘ヘリコプターはCG映像ではない。戦闘機は訓練飛行しているのではない。彼らの道をふさぐ現実の装甲車、現実の戦車はパレードのために集まったのではない。ブルドーザーは廃墟を片付けるためにではなく、彼らの住居を廃墟にするためにやってくる。彼らは現実に狙撃され、現実に出血し、現実に死体になったわが子の体をさすっている。

 僕は聞きたい。北朝鮮が国際道徳を犯していることを理解できるだけの知力を備えたすべての日本人に聞きたい。
 住宅地に、あるいは家族連れが遊ぶ海岸に、子供がサッカーに興じている広場に、ミサイルを撃ち込む権利を有する国があるのかと。
 自国の安全保障のために、隣国の領土内に隣国をすっぽり囲い込む壁を建設する権利を有する国があるのかと。
 難民キャンプの超低空をF16戦闘機で飛行し、破壊的なソニック・ブーム(衝撃波)で住民に、とりわけ発育途上の子供たちの心身にダメージを与える権利を有する国があるのかと。
 隣国の議員や活動家を、いきなり犯罪者呼ばわりして80人も拉致する権利を有する国があるのかと。
 そして国連決議を数十項目にわたって数十年間無視し続け、何の制裁も受けずにいる権利を有する国があるのかと。

 我々が日本海のどこかで砕け散った金属の固まりを「脅威だ」「許しがたい暴挙だ」と言って(確かにそのとおりだ!)騒いでいる時、イスラエルは上に書いたようなこと+アルファ(膨大なアルファ)を、パレスチナ人に対して行なっている。
 もし上に書いたことの一つでも、北朝鮮が日本に対して行なったとしたらどうだろう?日本の臆病者どもがガタガタ騒がずとも、国連加盟国のほとんどすべてが「北朝鮮に何らかの制裁を!」でまとまるだろう(だからこそ北朝鮮は、実際にそのようなことを一つでもすることができないのだ)。
 ではなぜ、イスラエルがパレスチナに対してやっていることは制裁の対象にならないのか?
 なぜかは、多くの人が知っている。
 言わずと知れた、世界の警察を自称する国が、拒否権を発動するからである*4

 だが、拒否権というなら、我々にだってこの血塗られた世界を拒否する権利はあるはずだ。問題はいかにしてそれを拒否するか、であるにしても。


*1 このあたりのもう少し詳しい考察は、kaetzchenという方のブログから「スペースシャトルとミサイルの違い」という記事が秀逸。


*2 グリーンピース・ジャパンの以下の記事も参照。
  http://www.greenpeace.or.jp/campaign/nuclear/npt/hikakuhonto_html
  http://www.greenpeace.or.jp/campaign/nuclear/press/releases/pr20060217_html


*3 むしろ出版社や御用評論家などは、北朝鮮によって恩恵を受けていると思われる。ここのところの「北の脅威」評価額アップによって、彼らは特需景気に見舞われている。言わば「北朝鮮特需」である。最近だと、少し大きめの本屋に行って「国際問題」関連の棚を訪れると、おどろおどろしく北朝鮮・韓国・中国の「脅威」を煽る本がほとんど半分を占める有様だ。
 政治家にしても同様で、小泉や石破、安部晋三などの御坊っちゃん族は、外国の脅威という政治的インセンティヴなしに、ここまで登りつめることができたとは考えられない。


*4 たとえば中国が北朝鮮に対する制裁決議について、国連に猶予を、あるいは決議内容の再検討を求めると、日本のTV各局は一斉にこれをヘッドラインで伝える。しかしイスラエルへの制裁決議についてアメリカが拒否権を発動し提案を丸ごとオシャカにしても、日本のニュースはこれを全く伝えないか、せいぜい「いけませんねえ。アラブ諸国は怒るでしょうねえ。堂々巡りですねえ」という調子で穏やかに他人事のように伝えるのみだ。
 そしてかの地でテロが起きると、すかさず「テロの背景は?」という題字に続き、髭面の「イスラム原理主義者」が壇上で息巻いている映像が流れ、専門家がお流れになった幾多の提案、幾多の合意をとりとめもなく振り返る。スタジオではキャスターらがカメラに向かって深いため息をつく。
 こうして数十年が過ぎていったのだ。

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