イスラエルに経済制裁を!
ガザ侵攻と「北のミサイル」―C

2006年7月26日 レイランダー・セグンド

la civilisation faible
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 前回は、南アフリカの話になったところで尻切れトンボのような形になってしまった。が、うかつにも話を広げすぎてそんな風になった、というわけじゃない。
 もともと、パレスチナ/イスラエル問題というものが広すぎるのだ。中東の片隅の地域紛争という見かけとは裏腹に、そこには世界の全体像をどう捉えるかという根本命題から、世界各地のさまざまなローカルな問題とのつながり(もちろん日本とのつながりも)までが、万華鏡のように包み込まれている。「パレスチナ」は世界の急所であり、現代史のパンドラの箱だ。パートタイムではとても対応できるテーマではない(どんな国際問題でも多かれ少なかれそうだが、パレスチナは特に)。
 それを承知していればこそ、このたびのコラムは、「イスラエル」と「北朝鮮」という二つの鏡の間で無様な相貌をあらわにしたメディアの姿を通して、「日本問題」に切り結び、その上で自分たちにできることを提言するつもりだった。しかしあまりにも露骨な戦争犯罪が次々と起こっているのに、もはや共犯としか思えないほど批判力を失ったメディアの愚劣さに、感情の堰が決壊寸前になることが度々だ。
 情勢は悪化の一途をたどっていて、その展開の早さと深刻さに、思わず引きずり込まれて肝心の論旨さえ見失いそうになる。が、とにかくここはリアルタイムの情報提供を目指すサイトではない。1年後に読んでも役に立つような“考え”を書きたいのだ。僕も人間だし、人間は感情の動物なので、激昂を抑えつつキーを叩いているのは正直内臓に悪い。かといって、他にやりようもないのだ。

 よって、しつこく続ける。
 イスラエルへの経済制裁を求めるというと、「そんなの無理だろう」と思われるのが普通だ。実は、僕もそう思っている。仮に日本政府がそれを求めても、例によって国連では否決されるだろう。さらにイスラエル産品、イスラエル支援企業へのボイコットも、それが具体的に数字に表れるようなダメージをイスラエルに与えるとは、ほとんど思えない。
 それでも僕は「イスラエルへの経済制裁」「イスラエルに対するボイコット」というスタンス、それをくり返しアピールすること自体に意義があると信じる。というのは、この国の中で「イスラエルは経済制裁/ボイコットに値する」という認識が広まることが、まず第一歩になるからだ。(信じ難い話ではあるが)日本の大方の世論は、まだその第一歩すら踏み出せていない。それが実感から来る僕の考えだ。
 政府および議員に書状やメールで請願するという方策も、はじめから政府に何かを期待してそうしようと言うのではない。アピールが採用されるかどうかよりも、アピールの存在が世間に広く知られること自体が肝心なのだ。大体、歴代の日本政府が口先で転がす「中東和平」という言葉は、ポーズ以上のものであったためしはない。まして今の親米右翼政権が、アメリカの利害を損なってまで、それを自発的に推進できるという期待は無理にもほどがある。またそんな現状を別にしても、こういうアピールは一般大衆がまず歩き出し、政治家が一番最後について来るものなのだ。

 ところで、経済制裁というものは、有効な相手とそうでない相手がいると思う。
 北朝鮮に対する経済制裁は、倫理的な問題は別としても、ほとんど無意味である。中国や、いざとなれば韓国が抜け穴になるという話もあるが*1、それ以前に、一般の国民はすでに事実上制裁下の国並みに(あるいはそれ以上に)困窮している。この上「制裁が効果を上げる」ということは、彼ら一般国民がますます地獄を見ることを意味するだけで、ますます彼らは現政権にすがる他なくなるだろう。
 1991年湾岸戦争後のイラクがまさにそうだった。経済封鎖によって人道援助すら滞り、薬品不足や栄養失調で50万人の子供が死ぬ一方、サダム・フセインの権力は強化された*2。本末転倒もいいところだったのである(もし制裁の目的が本当にフセイン政権打倒にあったのなら、の話だが)。北朝鮮はこれと似たケースになる可能性が高い。
 さらにもう一つ、制裁の目的が国の実像を暴露し国際社会に認知させ、監視を強化することにあるならば、やはり北朝鮮の場合、それはもう間に合っている。彼らはすでに孤立しているのだ。兄貴分の中国でさえもてあまし気味だし、もう一方のかつての兄貴分のロシアからは冷たくあしらわれ、その他の国との関係においても、対外イメージは底まで落ちている。そうした意味でも、2003年までのイラクのケースに近い。

 だが、イスラエルはそのケースとは違う。「パレスチナ市民社会からの呼びかけ」でも言及されているとおり、南アフリカのケースにこそ近いのだ。
 もちろん、実際にそうした措置が適用されたとしても、アメリカという、それこそ巨大な抜け穴がある以上、たとえば国民の生活水準に変化が起きるほどの効果をもたらすとは思えない。だがイスラエルの支配者たちにとって本当に恐ろしいことは、イスラエルの建国神話とそこに根を生やし美化された対外イメージが崩れ去ることなのだ。

 イスラエルという国は、昔から南アフリカと共通点が多い。一時期は実際、一種の軍事同盟関係にあった。核開発や国内治安維持協力──すなわち被占領者弾圧のための技術交流──が主目的だったらしい。経済面では、南ア産出のダイヤをイスラエルが加工して売り出すという関係は有名だが*3、イスラエル製兵器の最大の輸出先が南アでもあった。
 アパルトヘイト体制の終焉にともなって、両国の関係・立場は変わった。南アフリカはANCの勝利後も順風満帆というわけには行かなかったが、少なくとも国際舞台において後ろ指をさされることのない、堅実で可能性のある国に生まれ変わった。
 一方イスラエルは、相も変らぬアメリカからの破格の援助を背景に、軍事力は先進国並み、経済力も準先進国並みである。国際貿易においてはハイテク・電子ベンチャー産業で頭角をあらわすなど、知的な「イノベーション国家」のイメージを振り撒いている。これらはまさに我々多くの一般人が抱いている、学問・芸術や金融・商業の分野で活躍者を多数輩出してきた「ユダヤ人」の歴史、「頭のいいユダヤ人」のイメージとも見事に合致する。
 だが国家としてのイスラエルの実像は、隣国への度重なる越境攻撃、占領地住民を壁で囲い分断する「バンツースタン」まがいの隔離政策、国内のアラブ系市民への差別など、かつての南アフリカの蛮行をそのまま継承し、よりミリタントにサディスティックにパワー・アップしたような国なのである。まずここに、突くべき矛盾がある。イスラエルに対するボイコットのアピールに意義があると信じられる理由は、一般の人の持つ市場イメージに、この実像をぶつけることでひびを入れることができるはずだからである。かつて南ア政府を追い込んだと同じように。

 ただ、イスラエルが南アと大きく違っているのは、その国家としての歴史的出自を対外イメージの要にしてきたことである。すなわち、ヨーロッパで迫害を受けてきた気の毒なユダヤ人達が、父祖の地*4に戻って切り開いた若々しくモダンな国家である、と。だがそれは切り開いたのではなく、パレスチナ人から奪い取ったのである。自分達を邪魔者扱いし続けてきた欧米諸国の、中東における前進基地の役割を担うことと引き換えのバックアップを受けて。
 これこそが、突くべきもう一つの矛盾である。イクバール・アフマドの言葉を借りれば、「イスラエルの根本的な矛盾とは、みずから人類の苦難の象徴的存在としてその存在を誇示しながら、そのいっぽうで、なんの罪もない別の民に犠牲を強いていること*5であり、世に知らしめるべきはまさにこの矛盾である、と。
 さらにアフマドは言う。それは武力闘争で突くことはできない。武力闘争はこの矛盾をむしろ覆い隠してしまう。イスラエルは常に、そう、常に四六時中、「我々はアラブの暴力の犠牲者である」というキャンペーンを世界に向かって行っている。世界にはそのような巨大な「悪意」というものがあるのだ。それを確かに知った上で、乗り越えなければ先に進めない。
 アルジェリア独立闘争という「武力闘争」を実際に戦って勝利した経験を持つアフマドは、アラファトらパレスチナの武闘派に助言した。成功する武力闘争とは、軍事力で勝るのではなく、政治力で勝る闘争だと。敵の矛盾を突き止め、世界に、とりわけ敵方の国民にそれをわかりやすく暴露するのだと*6
 占領下の「インティファーダ」は、まさに世界に「矛盾」を知らしめた。イスラエルの戦車に石つぶて一つで立ち向かうパレスチナの少年という絵は、どんな政治的屁理屈をも無効にしてしまう。イスラエルの軍の中でも、占領地区での勤務を拒否する兵士が現れ始めた。まさに敵方の国民が、それも特別な情報源を持つインテリでもない普通の国民が、目の前で矛盾を実感し、自分たちのやっていることに疑念を持ち始めたのである。
 だが、インティファーダは多くの死傷者を出す「武力闘争」の一形態であることに変わりはない。必要とあらばパレスチナ人は何度でもインティファーダを生み出すだろうが、それは常にやけっぱちの報復テロとも紙一重である。そしてイスラエルの宣伝機関は、着実にこれらを「テロリズム」の名の下に一緒くたにする技術を磨いてきている。9.11以降は特に追い風を受けながら。今回のガザ/レバノン侵攻において、国際社会におけるわずかながらの反応の鈍さが認められるとしたら、それはまさにその催眠技術が功を奏したためである。
 だからこそ、この催眠技術に対抗して、イスラエルの矛盾をもう一度知らしめるべきである。当座はとにかく、紛争当事者「双方」に停戦を求めるのが先決、というのも一つの考えだろう。だがイスラエルへの経済制裁、ボイコットという圧力を通じても同じ結果が得られるのであれば、現時点からそれを訴えてもまったく無駄ではない。どころか、それこそが今まで不足していたアピールの視点ではないのかと、僕は考える。


*1 しかしよく考えると、北朝鮮にそのような抜け穴が本当にあるということは、北東アジアの平和にとって悪い話でもない。特に韓国を抜け穴として積極的にあてにできるというのなら、それがきっかけで南北統一が促進されるかもしれない。もちろん日本の右派はそんなことを望んで制裁を叫んでいるわけではないので、もしそうなったらこれ以上の皮肉はない。未来の歴史家は、いったい誰が平和の妨害者で誰が推進者だったのか、解釈に悩むことになるだろう。

*2 代表的の記事の一つとして、益岡賢さんのページから、ジョン・ピルジャー「イラク:裏切られた人々」参照。

*3 「全世界で宝飾品として使われる小型ダイヤの約80%は、イスラエル製である。大手の輸出先はアメリカ、日本、香港で、イスラエルの対日輸出の70%は加工ダイヤである。」(在日イスラエル大使館HPより)

*4 これについての注釈を書いた時、僕の方で歴史事実の単純な誤認がありました。
 当初、パレスチナにはペリシテ人がもともといて、後からユダヤ教徒がやって来た、などと書いてしまいましたが、これは間違い。ヘブライ人(自称イスラエル人)は紀元前1500年頃からパレスチナに住んでいた。後にエジプトに移り住んだ一部の人達をモーセがパレスチナに連れ帰った(「出エジプト」)。モーセが十戒を授かったのもこの時で、これが「ユダヤ教」の原点。ペリシテ人はその後で侵入してきた。順序はこうなる。
 自分が持っている本で調べればすぐわかったのに、確認を怠っていました。陳謝し、訂正させてもらいます。
 ただ、ここでの注釈の意図は、どっちが先に住んでいたからどっちに優先権がある、などと主張するためではありません。
 もともと古代エジプトとメソポタミアに挟まれた、民族の往来の発達した地域で、「ユダヤ人」や「ペリシテ人」以前にも、カナーン人やフェニキア人などが都市国家を形成し、盛んに交易していました。さらには人種的にも、「ユダヤ人」「ペリシテ人」は同じセム・ハム族の子孫です。様々な「○○人」の坩堝のような、混住・共存が当たり前のような歴史を持つこの地において、イスラエル人だけが歴史的正当性を主張することの馬鹿馬鹿しさにスポットを当てるのが、注釈の狙いでした。その方向性自体は、間違っていたわけではありません。 (訂正:2006.9/1)

*5 『帝国との対決〜イクバール・アフマド発言集』訳 大橋洋一・河野真太郎・大貫隆史 (太田出版、2003年)より。

*6 同じく『帝国との対決』所収のエピソードから。アラファト達はアフマドやチョムスキー、サイードらの忠告を真剣に聞き入れようとせず、墓穴を掘った。自分達の軍事力はまんざらじゃない、イスラエルにそこそこ対抗できているという幻想は、82年のレバノン侵攻で完全に崩壊した。イスラエルという国は、少しでも正当に響くようなレトリックが用意でき、アメリカがゴーサインを出しさえすれば、あとはどこまでもむき出しの暴力にものを言わせることができる。その暴力の前では、中東に敵はいない。PLOはほうほうの体でチュニジアに逃げ出した。とり残されたパレスチナ難民たちには大虐殺が待っていた。
 こんなことがくり返されてはならない。今回、ヒズボラが仮に壊滅させられたとしても、その後に来るものがこんなことであってはならない。


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