加入しているメーリング・リスト、TUP-Bulletinの10月15日付の翻訳記事は、、
「ハイジャック機アメリカ号のイラク突入」という秀逸な題名のものだった。この言い方はもちろん、ブッシュらネオコン勢力によってアメリカはハイジャックされているという認識をベースにしている。
人によっては、それを言うならもともと共和党と民主党という双頭の怪獣にハイジャックされている、あるいは多国籍企業と合わせて3つ首のキングギドラに・・・・という見方だってありえる。そういえば2000年の民主党大会前のライヴで、レイジのザックが「俺たちのデモクラシーはハイジャックされている!」って叫んでたな。あの頃はクリントンだったけど。
それはともかく、内容は、アメリカ主導の「対テロ戦争」が、2001年の9.11から五周年の日までにイラクに何をもたらしたのか、統計数字を中心にまとめた決算報告のようなもの。言うまでもなく、お話にならないほど破局的な決算だが、同様の報告はこれまでにも良心的なメディアを通じて何度もなされているので、それほど目新しい内容というわけでもない。
ただ、今回の記事を読んでいて、あらためて強く思ったことがある。それは「戦争の死者」とは何か、という問題である。
まず、その数字が意味するものについて。
たとえば本文では、対テロ戦争は「最低6万2006人の人びとを直接に殺し、450万人の難民を発生させ[・・・・]その他の数字にされていない死者――抵抗勢力、2003年侵略戦争さなかのイラク軍将兵、欧米メディアに個別事例として記録されない人びと、負傷により亡くなった人びと――の推定値を勘定に入れれば、死者数は18万人に達するかもしれない」という英インディペンデント紙の記事を紹介している。
18万という数字は、口にするのも書くのも一瞬だが、どういう意味を持つのか。
我々現代の日本人にとって、最も身近な大災害の記憶といえば、阪神・淡路大震災だろう。この時の死者が、約7千人だった。18万人は、その25倍強である。
25倍──これも口で言うのは簡単だが、どういうことなのだろう。
もし阪神大震災級の被害が、4〜5年の間に日本各地25箇所で次々と(時には同時に)起こったとしたらどうなるか。「日本沈没」とまではいかなくても、相当な惨事であることは誰でも想像できるだろう。しかも、イラクの人口は日本の6分の1である。アフガンもほぼ同数である。ならば上の「対テロ戦争」を主にイラク+アフガンに対するものと読めば、その18万は、日本のおよそ50万に相当する。50万は7千の約70倍である。日本各地70箇所で阪神大震災が・・・・
*1。
そんな単純な数字の比較をしたってしょうがない、と言われたら、そのとおりだと答えよう。現代の日本は、イラクやアフガンよりも経済力や社会基盤を備えた国だから、50万人死んだからといって、それで即、国が崩壊するというわけではないだろう。イラクやアフガンの受けたダメージは、むしろ現代の日本を基準にした想像上のダメージより、もっと深刻だと考えなければならない。
かつて日本は一度破滅を味わった。第二次大戦全期間を通じて、日本人は(軍民合わせて)約310万人
*2が死んだ。今より2,3割人口が少ない時代に、である。経済も軍事偏重でどんどん崩壊し、国民生活は窮乏を極めた、その最中に、である。
長年に渡る内戦で、ただでさえ疲弊しきっていたアフガン。湾岸戦争、それに続く過酷な経済封鎖(その影響で既に100万人の犠牲者が出ていることを国連は確認していた)の年月の後に、対テロ戦争の主要ターゲットとしてぼこぼこにされたイラク。その戦争での死者18万人とは、ほとんどかつて日本がこうむった被害の深刻さに匹敵する、と見るのが妥当ではないだろうか。そして、占領軍の存在を前提にした暴力的私営化プログラムが進行し続ける限り、この被害はまだこれからも続くわけだ・・・・。
さらに僕がこだわりたいのは、戦争の「死者」をどうカウントするのか、という問題である。
同記事翻訳の冒頭で、訳者の萩谷良さんが、10月11日付のイギリスの医学誌The Lancetの疫学調査論文について触れている。その論文によれば、この戦争におけるイラク人の死者総数は65万人(!)に達するという。
僕はその方面の専門家ではないから、この「疫学調査」というのがどういう手法によるものなのかはよくわからない。ただ、当局から一般に公表されている数字を大きく上回る調査結果をはじき出す、
そのような方法はきっと正しいという、単なる直感を超えた確信が僕にはある。なぜなら、戦争を推し進める側はいつでも被害を過小評価するのがその基本的体質であり、その際には、兵器による直接の破壊行為による以外は、「戦争の死者」とはカウントしないことに心を砕くものだからである。
だが「戦争の死者」とは、そういうものだけではない。上水道・下水道や電気・ガスなどのインフラが破壊されることによって、間接的に疾病にかかって死ぬ人。疾病にかかっても、病院にまでたどり着く手段やルートを奪われていることによって死ぬ人。病院に着いても、薬品や器材がないことによって、満足な治療を受けられずにすむ人。これらはすべて戦争による死者である。
飢餓がもたらす死者ももちろんそうだ。戦争によってインフレーションが進み、食料が手に入らない。あるいはそもそも戦争によって農地を破壊され、収穫物が得られないという事態も起こりえる。大人たちは何とか知恵をしぼって生き抜くとしても、親を失った、親とはぐれたような子供は生きる術を失って死んでいく、『火垂るの墓』のような場合もある。あるいは戦争によって愛する者を失い、人生に悲観して自殺する人だって戦争の死者だろう。
こういった死者たちはすべて、破壊行為から間接的で時間差があるために、一般には「戦争による」というイメージを持たれにくい。実際、戦争「だけ」のせいではないのは確かだ。
だが、ふたたび阪神・淡路大震災を振り返ってみれば、約7千人という死者数は、震災後1年以上経ってから確定したものである。それには震災で重傷を負った人が数ヵ月後に力尽きて死んだというケースもあれば、震災によるPTSDで、また未来に希望が持てないことによるノイローゼで自殺した人までも含まれている。仮設住宅で孤独死した老人も含んでいるかもしれない。僕は含めるのが当然だと思う。だって「震災」というのは、地下の地震現象のことではなく、地震で生じた地上の様々な問題が複合して起こる災害をまとめて呼ぶものだからである。地震「だけ」のせいではなくても、地震によって引き起こされた出来事全般を考えるのは当たり前だ。
僕が昔から関心を持っている、中国における日本の侵略、特に何かと騒がれる「南京虐殺」のケースでも同様のことが当てはまる。
南京事件をめぐっては、しばしばその死者の数が論議の的になる。「そもそも虐殺はなかった/あっても百人程度」という“まぼろし派”の主張は論外としても、中国当局が主張する30万人から、日本の研究者が主張する15〜20万人説、10万人前後説、3〜4万人説など、さまざまである。これは一つには、「南京虐殺」の時間と場所のスケールをどこまで広げるか・どこで区切るかによって、おのずと差が出てしまうせいである。また、個々の殺害場面について、「虐殺」によるものか「戦死」によるものかという線引きが微妙な場合もある。
だが「虐」殺か否かはともかくとして、たとえば日本軍によって生活基盤を破壊された市民、特に老人や病者、孤児たちのような弱者が、時間的にはだいぶ後になって──1年後であれ、2年後であれ、あるいは「終戦」後であれ──結果的に平和な時代だったら落とさずに済んだであろう命を落とした場合、これを戦争から切り離して考えるなど、逆に不自然である。そうしたことまで思いいたせば、中国側が主張する30万人より、もっと多くたって実は不思議ではない、と僕は思う。
「8月15日 僕は死んだ」で始まる『火垂るの墓』の少年だって、事実上の「戦後」の街の片隅で、栄養失調の浮浪児として死んだ。こんな風に死んでいく人間は当時珍しくもなかった。だがそれは、日本人戦没者310万人の中にはカウントされていないのだ。
英国医学誌の「疫学調査」が、ここで僕が取り上げたような死者をカウントするものなのかどうかは知らない。もっと別の死者のケースだってあるかもしれない。ただ、基本的に近い視点を持って進められたからこそ、「65万」という数字が出てきたのだろうと推測する。「戦争さえなければ、こんな風に死ななくても済んだのに」というような、見えいにくい戦争の死者は、実は見えている死者を上回ることさえあるのではないか──この数字の衝撃は、そういう真実を含んでいると思う(無論、死者でなくても、何らかの被害を受けた人全般でも言うに及ばずだが)。このことを思い起こさせる記事を伝えてくれたTUP-Bulletinのスタッフの方々に感謝したい。
最後に付け加えたいのは、この見えにくい「戦争の死者」が数十年来日常的に生産されている現場の一つがパレスチナである、ということだ。芸術の秋、我々は「泣ける映画」を探すのに、ぴあなどをめくる必要はない。