2007年 政策提言のようなもの@
2007年8月13日 レイランダー・セグンド

la civilisation faible
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 久々のこのコラムでは、政策提言のようなものを書いておきたい。
 政策といっても、具体的な実施のメドや手続きなど、事細かにわかっているわけではないし、わかっていなければならないとも思っていない。あくまで大筋で「世の中こうであるべきなのに/こうであればいいのに」と日頃考えていることを、この際一挙に「政策」的な観点から書きたくなっただけだ。

 きっかけと言うほどのものでもないが、ベースになる考えを書き留めたのは7月の参院選の前である。
 選挙といえば大体いつも、自分の考えに近い政党・候補は少数派だ。小選挙区制になって以降は特に、一番「近い」政策を持っている人をただ選ぶというよりも、当選する可能性が高い人の中からよりマシな人を選ぶ、という意味で、選択肢の本当に限られた選挙になってしまっている。また結果として票を投じた相手が当選してさえ、自分が切望しているような政策が直ちに実施に移される見込みは薄く、多くは必要性のわからない他の議論の波の中に埋没してしまう。
 それでも時々波の間に顔を出すこともあり、すべてがまったくの無駄ということはない。それにしても、現実に日々自分が考え・感じていることと、議員バッチをつけた連中が「政策」として論じていることの隔たりは相当なものだ。
 そこで、その隔たりがどういうものであるか/どれほどのものであるかを明らかにする作業も、定期的に必要だと思えてくる。ほとんど自分自身の頭の中を整理するため、かもしれないが。
 僕がこの国に住んでいて、最低限これは政治主導でやってもらいたい、またできるはずだと思うこと、政策として議論の主役に躍り出てもいいはずだと思うことを、何回かに分けて列記してみることにする。


1 ベーシック・インカムの導入

 日本に居住するすべての成人に、無条件に1ヶ月8万円程度のベーシック・インカム(最低所得保障)を導入する。無条件に、である。
 8万円という数字には厳密な根拠はない。雨宮処凛の『生きさせろ!〜難民化する若者たち』で、社会学者の入江公康氏が「月に八万ならすぐにできるという計算もある」と語っているのを読んだ。またどこだか忘れたが、ネット上の文献でも別の人が同じようなことを書いていた記憶がある。
 もちろん物価の上昇などに応じて多少スライドさせるべきだが、現在の物価に照らして、8万はまあまあだと思う。8万あれば、現在ワーキング・プアと呼ばれる人(僕も含む)や、ネットカフェ難民と呼ばれる人たちはグッと楽になる。それでも間に合わない人には、さらに従来どおりの「生活保護」を適用すればいい。従来の「生活保護」にもいろいろな問題は指摘されているようだが、少なくとも金銭的な問題に限ってみれば、憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」を営む上で、「一律8万」のサポート力は大きいはずだ。

 また、ベーシック・インカムを年金・失業手当・児童手当など、従来の社会保障の代わりに一律同じ金額を払うことで置き換えるという発想なら、金額はもっと高く設定しなければならないかもしれないが、従来にはないメリットもあるという。一つは、個人に支払う額の審査・選定にかかるコストの大幅な削減を見込めること。もう一つは、普通のいわゆる「失業期間」以外で、学習や職業訓練に打ち込みたい人の「つなぎの収入」になりえることだ。つまりは柔軟な働き方、というものをサポートできる(年金よりも、ベーシック・インカムはいかが?〜摂津正(オーマイニュースより)他を参照)。

 僕自身は、今ある社会保障の代わりに一括で置き換えるのがいいのか、今あるものは基本的にそのままでベーシック・インカムを上乗せするのがいいのか、そのあたりの判断はまだできないでいる。ただ少なくとも、非・選別的な形の所得保障は、「生存権」の観点から絶対に必要だと思う。
 それにお金に余裕ができれば、経済も根底から活気づく。ただ「国家支出」としてお金が出ていくだけでなく、国としても結局はめぐりめぐって得をするはずだ。社会保障とは言いながら、「投資」という側面もないわけでもない(無論、自民や民主などのネオ・リベの世界観では、「投資」とはそういうものではないのは承知しているが)。

 働かざる者食うべからずと言うが、この国の貧困は「働いても食えない」人達を生み出し、その人達の存在を前提に「食っている」人間がいるという構造に、問題の一端がある。
 働いている者すべてが普通に食えて、もっと働こうという気にさえなれるように、困窮者の「生活保護」とは別の次元で、最低限の所得が保証されているべきだ。少なくともそれが先進文明国というものではないか。──金額の妥当性の問題ではなく、「無条件の保障」を現実味がないようにみなす社会の、その固着した思考を突き崩すことこそが、この提言の第一の効用だろう。


2 トービン税の導入

 1のような社会保障の充実を訴えると、決まって返ってくるのは「財源はどうする」という反論である。
 まず総体として、これまでにどれほど多くの無駄な公共事業に税金が投入されてきたか──今もされているか、ということに目を向ければ、それだけで「財源はどこにでもある」という結論に達するだろう。さらに加えて、米軍再編へ向けて要請されている資金負担や、これから国産ステルス機の開発などに費やされる予定(予定のままポシャってほしいが)の税金のことなどを考え合わせれば、「財源」について心配するのはなおさらバカバカしい気がする。軍事関係の支出の「無駄」については、次項3でも触れる。
 ただ、それらとは別個に、新たな税制を導入する余地もある。その有力な一つが、トービン税だ。

 トービン税は、ノーベル経済学賞の受賞者であるアメリカの学者、ジェームズ・トービンが1972年に提唱した国際通貨取引税。世界で1日に100兆円を超えると言われる国際金融取引に、ごく低率(一回の取引につき0.1%とか)の課税する。これによって投機目的の短期取引を抑制しながら、巨額の税収が得られる。
 長期のスパンによる健全な目的の投資にとっては、ごく低率の税金なので負担が少ない。だが世界の金融取引の大部分は今や短期の投機取引、すなわち「為替相場で儲ける」タイプのマネー・ゲームで占められている。これに税金をかけて抑制することはマネーの暴走を抑え、通貨危機を未然に防ぐのにも役立つし、得られた税収を貧困削減や環境保護に役立てることもできる。この理念に基づいてトービン税をプッシュしている代表的な運動が、ATTAC(Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens〜市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)である。
 トービン税についてはこのATTACのほか、オルタモンドのHPでも詳しく学べる。

 現在トービン税を導入している国はベネスエラとベルギーだけだが、欧州ではイタリア・フランス・イギリスなどでも政治の議題に上りつつあって、導入の現実性は高まっているようだ
 アジアではまだその機運は盛り上がっていない。だからこそ日本が先頭に立ってこれを導入すれば、本当に「先進国」としての面目躍如だし、後に続く国のお手本になるだろう。上記オルタモンドの記述によれば、すべての国際金融取引にわずか0.05%の課税をしただけで、年間500億ドルの税収が見込める──これは世界のODA(政府開発援助)の予算とほぼ同額だという。
 ただ税収の使い道という点では、日本はすでにODAに相当な予算を計上できているので(中身に関してはともかく、金額だけは)、トービン税の税収をすべてODAにまわす必要性はないだろう。ならば、これを国内の貧困対策に(全部とは言わないが)投入してもさしつかえないはずだ。要は、これは二者択一の問題ではなく、トービン税のようなやり方を導入すれば、両方に必要なだけの財源が比較的楽に手に入るだろう、ということなのだ。

 僕も税法の難しいことはわからないし、トービン税や類似の法制についても、まだ折を見て勉強中というところだが、少なくともこれは、明日にでも導入してさしつかえない制度であることはわかる。「環境税」の導入や消費税の増額などよりも、一般市民にとってはるかに抵抗が少なく、実現可能性の高い政策ではないか?──ただ現時点では日本国政府が、一般市民の立場に立っているわけではないということは、それ以上にはっきりしている(したがって、政治主導がおぼつかなくなる)のだが。


* トービン税の導入をアピールしている世界の議員たちによる署名サイトがあり、ATTAC京都支部の方々がこれの翻訳サイトを準備中とのこと。2007年8月現在864名の署名が集まっていて、左側の枠内「the list」より国別の人数および署名議員の名前が確認できる。日本の議 員はまだ一人も参加していない。
World Parliamentarians Call for Tobin Tax


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