『ルート181 パレスチナ〜イスラエル 旅の断章 』 "Route181,fragments of a journey in Palestine-Israel" a film by Eyal SIVAN & Michel KHLEIFI (2003) |
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1947年の国連決議181号(パレスチナをアラブ領とユダヤ人領に分割する決議案)。この時定められた分割ラインは、正式に国境として存在することはなかった。アラブ(パレスチナ)側はこれを拒否し、イスラエルは1948年の建国宣言と続く第一次中東戦争によって、そのラインよりさらにアラブ側に割り当てられた地域までを領土とした。また現在に至るまで形の上で残っている分割ラインにしても、イスラエルが占領管理下に置くことによって、「国境」という地位には程遠いものになっている。第一、パレスチナという「国」がない以上、「国境」もまたありえない。 『ルート181』は、この存在することのなかった「国境」付近の道を、パレスチナ人の監督(ミシェル・クレイフィ)とイスラエル人の監督(エイアル・シヴァン)が一台の車で旅をしながら、出会ったさまざまな人々・光景を綴ったドキュメンタリーである。 映画は南部・中部・北部の三部構成で、計4時間半に及ぶ。 4時間半──しかもドキュメンタリーで──と聞けば、普通は相当しんどい(体力的にも頭脳的にも)と思う。ましてテーマはわれらの時代の不条理の極点とも言うべきパレスチナ/イスラエル問題、しかもその中でも、抑圧・加虐する側の語りが半分以上を占める。そんな条件だけを聞けば、よほど不愉快な体験になることを覚悟しなければいけない気がするだろう。 ところが実際には、僕という人間に関する限り、そうした意味でのしんどさというのはまず感じなかった。文字通り画面に釘付けのまま、気がつくと4時間半が過ぎていた。終わってしまうのが口惜しいくらいだった。 なにしろ、単純に面白かったからである。事件というほどのものは何も起きない。ただこの地のありふれた人たちのありふれた暮らしぶりを目にしつつ、その人たちの声に耳を傾け続ける。もちろん弾圧下に生きるパレスチナ人の暮らしぶりなど、日本人から見て「ありふれている」はずもないのだが、逆に我々から見て、かけ離れているから強い印象を受ける、ということでもないのだ。 この面白さとは──では僕のようにこの地に深く関心を抱き続けてきた人間だけに感じられる面白さなのだろうか? 最初は僕自身そう思っていた。しかし、よくよく反芻するにつけ、どうもそうではないと思えてきた。この映画の魅力は、パレスチナに興味があろうとなかろうと、現代史の知識があろうとなかろうと、観る人それぞれがそれぞれの発見をしうる、それも、内なる発見をもたらすことにあるのではないだろうか。 旅とはそういうもの、日頃は見えない自分の内面に気づかせてくれる、もう一人の自分に出会える──などという、旅行会社の宣伝文みたいなことが言いたいのではない。確かにこの映画はイスラエルをほぼ縦断する「旅」の形をとっている。だがその旅が連れ出す場所は、ひたすら人間の過去と現在が濃密に交錯する場所であり、それら人間に対する共感や反発、同情や嫌悪などが呼び覚ますのは、内なる「もう一人の自分」なんかではなく、内なる人間性の本質、「われわれが他者の顔を見、声を聞くとき、彼らを同じ人間として認識する能力を与えるあの特別な器官」(*)(ダグラス・ラミス)の働きなのである。 もっと言うなら、彼らも自分と同じ人間だ──ではなく、自分は人間だ、彼らのせいで思い出したが、自分も人間だった!──という発見の仕方に、それは近い。だからこそ僕にとって、それは「面白い」と感じられたのだ。 ポイントとして、登場するのが無名の人たちばかりで、誰一人キャプションなどでその名前や肩書きを紹介されたりしない、ということがあると思う。 観る者は、それがどういう人であるか、服装やしゃべっている内容から推定するだけである。軍服を着ている兵士は当然みなイスラエル兵だし、アラブ人を野獣扱いして吐き捨てるのも、あるいはまるで眼中にないように話すのも、やはりユダヤ人である。 一方で、見てくれは彼らとほとんど違わない「イスラエルのパレスチナ人」が出てくる。セーラー服で通学するパレスチナの少女もいれば、チャドルをまとった古風なムスリムの女性も出てくる。シックな黒のジャケットに身を包んで携帯電話で話すパレスチナの青年もいれば、明らかに武装組織のメンバーらしい青年もいる。その間にはさまるような、ユダヤ人でもパレスチナ人でもない、中近東諸国からの移住者もいる。見てくれではさらに判断がむずかしいタイプなので、発言内容を注意して聞くことになるが、この国の問題〜パレスチナ問題についての受け止め方は人それぞれである。アラブ系のユダヤ人の方が、パレスチナ人に対する嫌悪が激しいこともある。 ただ、いずれにしろこうした判断がすんなりできるのは、この地域の事情にそれなりに知識を持つ者だけだ。そうした知識がない人は、どれがユダヤ人でどれがパレスチナ人かなど、瞬間瞬間にはわからないだろうし、話を聞いても必ずしもはっきりしないこともあるだろう。はっきりしているのは、みんな「この国の人々」であるということだけだ(占領地は「この国」の暴力的延長である)。実際監督の二人も、そのようにシンプルに受け取ってほしいのではないか、とも思えてくる。 しかしどんな人だって、目にしている人物の表情や振る舞いや言葉が自分の中に呼び覚ますものついては、人から教えてもらう必要などないわけである。 登場するユダヤ人には多くの場合、共通の雰囲気がある。他者に対する無神経、傲慢さ。責任転嫁。自己欺瞞。軽薄さとおびえ。彼らがカメラに向かってしゃべるのは、たいてい何かを隠そうとするためである。 対してパレスチナ人は──少なくとも自分をパレスチナ人であると自覚している者は──何かを明らかにしようとするためにこそ、口を開く。その口調は、表情は、どんなにがんばっても軽薄にはなりようがない。 またユダヤ人の中でも、この国の在りように失望してしまった人々の口調は、むしろパレスチナ人たち以上に重苦しい。パレスチナ人たちの口調には、どんなに逆境にあっても「それがどうした、俺たちは生き抜くだけさ」という挑戦的なムードがまだしもある。だが、すべてを知ってしまったユダヤ人たちは、途方に暮れるばかりだ。逆境のパレスチナ人たちが、ここで人生を・生活を・祖国を手に入れる/取り返すという願いを持ちながら、それを阻まれているがゆえに途方に暮れているのに対し、このユダヤ人たちは、どこに行けばいいのか、何をすればいいのかわからなくなって途方に暮れている。出身地の国に帰りたいと言う者すらいる。なんという皮肉!・・・・追放されたパレスチナ人たちは故郷であるパレスチナに帰りたいのに、そのために戦い、数え切れない命が失われた(今も失われている)というのに、イスラエル(パレスチナ)に勧誘され、あるいは連れてこられたユダヤ人たちは、イスラエルの外の「故郷」へ帰りたい・・・・一体、誰がこの一切を償えるのか。 映画の最後に登場する、モロッコ、チュニジアからの年老いた移民夫婦たち。一人の妻は、夫が来たいというからここに来た、と語る。その話はしたくないと言って、席を立つ夫。妻は続ける。確かにこの国には何でもそろっているわ。でも、生きる喜びがないの。 彼女の生きる喜びの一つは、末の息子だった。息子はイスラエル国防軍に取られ、戦死した。しかし、そのことだけを恨みにもって、生きる喜びがないと語ったのでは、もちろんない。イスラエルでの生活の、人生の総体を念頭に言い切ったのである。 大きく2種類の声があることに気づかないではいられない。他者を踏みつけ、軽んじて生きていく者の声と、他者を軽んじては(不本意ながら──あるいは積極的な意味でも)生きていけない者の声。 そこにこの国を分断する、見えない国境線がある。そして後者はさらに2つの声を包含している。抑圧されるパレスチナ人の声と、途方に暮れるユダヤ人の声。だが、その狭間で揺れ動いている者だって大勢いる。ルート181とは、まさにそんな狭間の道のことではないのか。 だからこそリッダの街頭で、また封鎖線を破ってナブルスの住民に食料を届けに向かう、タアユウシュ(「共生」を意味する平和団体)のデモ隊の声が、隊列に加わるパレスチナ人の声と重なっていくシーンは重要だ。ユダヤ人とパレスチナ人の声が一つになる。彼らは軍事封鎖線だけでなく、見えない心の分割ラインをシンボリックに越えて行く。それを映し出すことによって、映画は育ちつつある3種類目の声──先にあげた2種類のうちの、後の方の声から発展した──の存在を示してみせたのである。 他者を踏みつけにして手に入れた生活では、生きる喜びは得られない。それが人間というものだ。老母はこの国で、そのことを悟った。タアユウシュが象徴する「第三の声」は、まさにその生きる喜びを取り戻すために、心の分割ラインを「共生」の道に作り変えていこうとするのだ。
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