『大地動乱の時代 地震学者は警告する

石橋克彦 著
(岩波新書、1994年)

la civilisation faible
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「ヘリによる消火弾がそれほど効果があるとは思えない。
しかし、今のところはこの自衛隊のヘリにでも頼るしか…
では、偵察機や戦闘機は何のために?…
国を守る…
国民の生命・財産を守るとは、一体なんだろう?」
        映画『日本沈没』・炎上する東京のシーン、
         丹波哲郎扮する「山本首相」の独白より

 阪神大震災の直後に、この本に出会った。書かれたのは震災の前の年である。
 当時わんさかやっていた震災関連のTV番組の一つで、ある地震学者(その人の名は忘れた)がインタヴューを受けていて、そこでこの本を激賞していた。そういえば「阪神大震災を予言していた本」なんていうふれこみも、何かの記事で目にした記憶があったし、同業者があんなに誉めるのだから、まあ結構専門的で難しいところはあっても面白い本なんだろうとふんで、買いに行ったのである。
 読んだ結果は、“面白い”どころではなかった。そのころ前後して、同じ地震関係の本や雑誌をずいぶん読み漁ったものだが、この石橋教授の本に匹敵するものには、ついぞ出会わなかった(というか、大半は時間のムダであった)。
 およそ自然科学関連の本で、これほど感動したことはない。そんな意外な「当たり」に出会った喜びもさることながら、僕の中でこの本は、ある種の「予感」を「確信」に変える、決定的な働きをしてくれた。そしてそれは、今はそうでなくても、未来においては、日本に暮らす多くの人々にとって「決定的な」ものになる(・・・不本意ながら?喜んで?)はずだと、僕は信じている。


 本書の骨子を「プロローグ」から抜き出すと、以下のとおりである。
「・・・今世紀(20c)末から来世紀(21c)初めごろに小田原地震、東海地震、首都圏直下地震が続発し、それ以後首都圏直下が大地震活動期に入る公算が強い。これらの地震による首都圏とその周辺の震災は、最悪の場合、従来とは質的に異なる様相を呈し、日本と世界に重大な影響をおよぼすだろう。そのような震災とその影響はもはや戦術的な対応では軽減しきれないから、思いきった地方分権による分散型国土の創成に今すぐ着手すべきである」(プロローグより、太字、括弧内はR.S)

 この骨子に肉付けする形で、各章ごとに「大地動乱」の様々な相貌が描かれる。

 第一章と第二章では、江戸時代幕末から大正関東地震(関東大震災)に至る時代を舞台に、地下の動乱と地上の動乱がいかに結びついていたかがあぶり出される。
 この2つの章は歴史読み物としてもスリリングで、かつ簡潔にまとまっていて、“理工系の学者”というイメージからは想像もつかない、著者の文筆家としてのセンスの良さに、僕は脱帽した。ここで読者は、日本の歴史というものは、いつもその大きな転換期に大きな地震が作用していたのではないか、という印象すら抱くだろう。もちろん、地震が歴史を「変えた」というのは言い過ぎである。だが変わろうとしていた時代が本当に変わるための「一押し」に、はからずも地震が荷担していた。これは疑いようのないことだ。
 続く第三章・第四章では、上の一見ショッキングな事実が、地震学的には当然の帰結であることが明らかにされる。つまり、日本は地震列島なのだ。地震がこの列島を造った(造構運動)のだし、今もバリバリ造っている最中なのだ。我々は「変動帯」の上に生きている。
 日本人にとって、大地震は「来るかもしれない」ものではない。「来る」のは当然の大前提なのだ。ただ人間のご都合主義の本性が、それを忘れるように働きかけるのである――幸運にも忘れていられる時期には。
 だが、
「地震の災厄は、台風などと違って、進路が変わったり消滅したりすることはない。プレートが動いているかぎり(それは、私たちにとっては太陽があるかぎりというのに等しい)、ひずみエネルギーの蓄積はつづくから、先送りされればされるほど事態は悪化するのである。」(P171)

 もちろんこうした話は、プレート・テクトニクスなどの地学の基本であって、別に石橋氏の発見ではない。石橋氏の「発見」と言っていいものとしては、有名な東海地震についての説(*1) を除けば、「止め金としての小田原―西相模湾断裂」というロジックなどがあり、僕個人はかなり興奮して読んだのだが、そういう純粋に学術的な発見をアピールすることは、本書のメインテーマではない。あくまで氏は、現代地震学の常識となっている事柄に基づいて、解説し、ポイントを指摘している。
 ただ、氏の指摘の仕方は、なんというか、フォーカスが抜群に上手い。レンズを向けた場所が絶対にピンぼけせずに、なおかつ、その場所が全体の中に占める位置を見渡せる。部分から全体、全体から部分という行き来が、とてもなめらかな印象がある。つまり一言で言って、文章が上手いのである。その、文系とか理系とかいう壁を越えた上手さが、読者に理解を促す―理解“させる”というより、理解できる位置に(見晴らしのいい空間に)引っ張りあげてくれる、という感じだ。

 たとえば、意外と多くの日本人は、「震源」という言葉の正確な意味を知らない。かく言う僕も、本書を読むまで、わかっていなかった。
 たいていの人は、あのニュースなどに出てくる「×」印を見て、漠然と「地震が起こった場所=一番揺れが強い場所」と考える。なのに震度分布を見ると、「×」の近くは5で、それより遠い所が6、なんてことがザラにあるので、一瞬「?」と思いつつ、「地盤の影響とか、いろいろあるんだろう」などと納得するのではないだろうか。
 地盤の影響があるというのは、確かに間違いではない。だが、より本質的な事情は別にある。事実は、「震源」とは、「震源断層運動」(地下の岩石破壊である「地震」の正式名称)の始まった地点に過ぎず、それは普通、「震源断層面」の端っこの方なのである。だから大きな地震になればなれるほど、我々一般人にとっては、あの「×」印の表示は意味が薄くなる。我々にとっては、「震源」ではなく「震源域」こそが問題である。なぜなら地震動は、震源という「点」ではなく、震源域の断層「面」が引き起こすものだからである。
 これを単に「へぇー」で片付けるのはたやすい。だがそれで片付けてしまう人は、地震という現象が面状に起こるという基本的理解を捨ててしまうことになる。
 捨ててしまうとどうなるか。マグニチュードという、地震の「規模」を表す単位が理解できなくなる。なぜならマグニチュードは、(いくつかの要素がかけ合わされてはいるが)大まかにいって震源断層面の面積の違いをよく表すものだからだ。この「面積」という観点がなければ、地震の「規模」をイメージすることはできない。それが我々の日常感覚とどれくらいかけ離れているかも、イメージできないのである。
 たとえば、阪神大震災(地震の名称としては「兵庫県南部地震」と言わなければならない)の時はM7.2であった(*2)。来る「東海地震」はM8クラスと予想されている。
 7.2と8は、数字だけ見ればたった0.8の違いである。だがマグニチュードは対数の一種で、0.2増えれば面積は2倍、0.4増えれば2の2乗倍、・・・すなわち0.8増えるということは、ずれ動く(すべる)面積が2の4乗倍=16倍に増えるということだ。

「・・・M八の地震では、地表のすぐ下から深さ数十キロくらいまでの地底で、とつぜん生じた岩盤の激しいズレが時速一万キロほどの猛スピードで百数十キロも突っ走り、東京・神奈川・千葉・埼玉の一都三県全体に匹敵するような広大な面を境にして、両側の巨大な岩盤が二〜三分のあいだに数メートル以上ずれ動く」(P91)

 M7クラスとの比較で言えば、ずれ終わるまでの時間(=地震波を放出し終わるまでの時間)も10倍近くかかる。長く揺さぶられれば、それだけ建造物のダメージも大きくなることは言うまでもない。
 救いなのは、「震度」までもが10倍になることはない、ことくらいであろう。地球上のどこであれ、大地の揺れの激しさにはほぼ限度があって、通常「震度7」と呼ばれるレベルがそれである。ただし、大きな規模の地震になればなるほど、様々な周期の地震波をまぜこぜに放出するので、影響を受ける建造物の種類も増える。なおかつ特定の地盤は特定の周期の揺れを増幅する。単純に揺れの「強さ」をクリアしたからといって、周期の共鳴がもたらす増幅された破壊力には太刀打ちできない (*3)。これは、いわゆる「耐震技術」の抱える盲点の一つである。


 こんな具合に本書の中では、我々が普段わかっている気になって、実はわかっていないことがいろいろと指摘される。だが、それをいちいちここで紹介するのはやめておく。
 上のような例示も、素人考えに対する荒さがしのためではない(僕自身が素人だ)。基本的な認識が欠落したままで、いくら「震災報道」につき合ってみたところで、我々に突きつけられた本当の問題を自覚することができない──本書を読むと、それを痛感せざるを得ないのである。それはたとえば、週刊誌の「直下地震があなたの街を襲う!」のような見出しに恐怖感を煽られ、「震災対策マニュアル―あなたは生き残れるか?」といった類の本を買って一安心することで「解決」するはずのない問題なのだ。現実を受け止める際の基本的な視点はどんなものであるべきか、それ次第では、どう切り抜けていくかもまた、的外れなものになってしまう。地震に限った話ではないけれど。

 まず、地下の「地震」と地上の「震災」とを区別する視点が必要である。一見当たり前のことのように聞こえるかもしれないが、これには実際深い意味がある。
 先にも述べたとおり、地震というのは日本列島の基本的な自然条件であり、異常な現象など何一つ起こっていないということを確認する必要がある。でなければ、異常なのは我々の文明の方かもしれないという視点を見失ってしまうからだ。
 先の新潟中越地震の時にも、あたかも想像だにしない不条理な「天変地異」が被災地を襲った、とでもいうようなスタンスの報道が目についた。確かに被災し、それによって大切なものを失った人にしてみれば、どんな災害であれ不条理だと感じるのは、感情として当然だ。メディアがそれをいかにも「不条理感」を盛り上げるような調子で報道するのも、視聴率や部数を稼ぐためのよくあるパターンだと「理解」はできる(腹立たしいが)。
 しかし建造物の破壊について、それが壊れたことがまるで意外なことでもあるかのように、「なぜこのようなことが?」などと神妙な面持ちで尋ねるリポーターと、「それはね・・・」とニコニコしながら要領を得ない瑣末な知識で煙に巻く建築学者、という構図にはうんざりする。率直に、「地震波にはそれだけのエネルギーがあるからだ」と、まずは考えられないのだろうか?建築学者には物を作る立場の意地があるのは分かるが、聞き手の方は、・・・。世界有数の「地震国」に暮らす人間の、これが平均的感覚だとしたら、困ったもんだでは済まないだろう。スマトラ沖地震の被害地域に住む人達を、「地震に対する意識が低いから」などと笑えるものだろうか。(*4)
 「耐震技術」をめぐる問題にふれて、石橋氏は書いている。
「しばしば「大正関東地震にも耐えられる」という言葉を聞くが、これは無責任な言い方である。なぜならば、当時は地震学も地震工学も未熟で観測も非常に不完全であり、震源で何がおこって地表でどんな地震動が生じたかという関東地震の全貌を私たちはまだ知らないからである」(P205)
「超高層ビルや先端的な都市基盤施設が密集する東京圏は、けっして大地震に万全だから建設されているわけではない。むしろ、無数の市民をいやおうなく巻き込んで大地震による耐震テストを待っている、壮大な実験場というべきである」(P207)

 この認識の延長上に、必然として見えてくるのが「震災論をつきつめれば文明論になる」という視点である。僕が冒頭に書いた「確信」というのも、まさにこの視点と全く同根のものだ──「弱い文明」しか道はない、という確信である。
 端的に言って、同じ地域・都市空間でも、環境負荷の少ない、人にやさしい空間であるほど、いろいろな意味で震災被害も小さい。あるいは被害を受けても、救援や復旧がまだしも容易だったりする。これは実際、我々の祖先が経験的に知っていたことである。
 むろん、山に暮らせば山崩れがあるし、海辺に暮らせば津波がある。自然のふところが、人間にとって無条件に安全なわけでは決してない。そんなことは当たり前である。だが、昔の人が自然の危険をうまく「すり抜ける」ことに主眼をおいていたのに対し、現代の我々は自然を「押さえ込もう」という発想で墓穴を掘っている例があまりに多い気がする。
 たとえば、「後背湿地」や「旧河道」など、昔の人が経験上住むことを避けていた場所に、技術の力を過信してどんどん家ができていく。大都市のオフィスへの通勤圏として開発される必要があるという、例によって経済効率が優先された結果である。
 石橋氏は破局を避けるために、あるいは少しでも被害を低減するための大前提として、東京一極集中をやめ、「分散型」の国土を創ることを強く提言している。だが氏は、それが単なる災害対策で終わるものではなく、豊かな環境と社会を子孫に残すための前提とも完全にイコールであることこそを、強調してやまない。
 裏を返せば、小手先の防災対策や防災意識のような、「地震が来た時だけ役に立つアイデア」では、我々が次に迎える震災は乗り切れない可能性が高いということなのだ。我々の生き方そのものを見直さなければ、破局は免れない。

「・・・震災というのは、人間の文明社会と大自然のあいだに日常的に存在する矛盾の劇的な噴出にほかならない。生身の人間の手足や目のとどく範囲で都市生活が営まれていた安政期の江戸や、その面影を残していた大正時代の東京では、大震災といっても中身は単純だった。ところが現在の東京は、大自然の摂理と現代文明の相克が地球上でもっとも激しい場所の一つである。そこに潜む本質的な無理が大地震の際に極限まで顕在化して、ここで生ずる震災は人類がまだ見たことのないような様相を呈する可能性が強い。」(P199-200、太字はR.S)


 本書の発表後、阪神大震災を経て、石橋氏は神戸大学に招かれた。
 それ以降対社会的には、神戸空港計画への地震学的見地からの批判や、とりわけ「原発震災」の危険を訴える論陣の先頭に立って、中部電力その他から煙たがられているようである。衆院予算委員会公聴会(2005年2月)での発言が ここ で読める。本書『大地動乱の時代』の骨子をふまえて、話し言葉でやさしく説き起こしたものなので、本を一冊まるまる読む気はしないという方も、ぜひこれだけは目を通してほしい。




*1  専門家でもない者がこんなことを書き添えるのは役不足だとは思うが、一応知らない人のために書いておく。石橋氏は、東海地震の研究者としては正真正銘のキーパーソンである。というのは、若くして優れた研究をものし、「駿河湾地震説」で学界(及び一般のメディア)にセンセーションを巻き起こした人だからである。今に至る「大規模地震対策特別措置法」(1978年施行)の、立法の根拠を作ったのが彼だった、と言っても過言ではない。
 この辺の事情をもう少し詳しく知りたい人は、P・ハットフィールドという英国人が書いた『東京は60秒で崩壊する!』(ダイヤモンド社)という本も面白いかもしれない。一見キワモノ的タイトルの本だが、中身は著者が足で調べた情報に基づく、しっかりした読み物だ。外国人から見た「日本人と地震」というテーマが新鮮で、石橋氏を始め何人かの日本の地震学者たちとの会見記も収録されている。本の情報は こちらからどうぞ。
*2  最近の研究では、この時のマグニチュードを7.3に修正しているようだ(気象庁では7.2と決定されているらしい)。しかしM8クラスの地震との比較ということで言えば大きな違いはないので、上の文章はそのままにさせていただく。
*3  たとえばいつぞやのTVで、新潟のどこぞで阪神大震災の時の800ガルだか900ガルだかを上回る揺れを観測した場所が見つかって、それがすなわち新潟の「意外なまでの被害の大きさ(?)」を説明するかのような報道があったが、これは典型的な単純化である。神戸でも、もっと観測地点が多ければその新潟より強い「ガル」を記録した場所があったかもしれない。またそれ以前に、「ガル」という数値は振動の加速度を表現するものさしに過ぎず、ある建造物に地震動がどの程度の被害を与えたかは、「ガル」の数値だけでは説明できないのである。
*4  これについても一つはっきりさせたいことがある。
 インド洋地域に、日本のような津波解析・警報システムがなかったのは事実である。だが日本で、そのシステムによって大勢の人が避難し、大津波の被害を免れることができたことは1度もない。
 そもそもそういうシステムの拡充が叫ばれる大きなきっかけの一つになった1960年チリ地震津波以降、大規模な被害を起こすほどの津波が日本を襲ったことは1度しかない。言うまでもなく、93年「北海道南西沖地震」の際である。
 そして、奥尻島はどうなったろう?
 我々は長年、この手の“神話”に付き合わされてきたはずだ。メキシコやフィリピンの地震での高層ビル倒壊、サンフランシスコ(89年)やロスアンジェルス(94年)の地震でのフリーウェイの崩落などが報じられる際には、必ず建築工学の専門家という人が現れて、このようなことは日本では起こらない、世界最高峰の耐震技術があるし、諸外国よりも「真面目に」建物を作っているからだ、という話を聞かされた。
 そして、神戸では何が起こっただろう?





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