追記:『サパティスタの夢 たくさんの世界から成る世界を求めて


la civilisation faible
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 『サパティスタの夢』紹介の本論の方で掘り下げきれなかったこと、またあえて取り上げなかったことについて、どうしても若干の補足を書いておきたい。あちらだけでも十分長いのに、まだあるのかよ!と言われそうだが、ヒマがある人だけでも付き合ってください。

 補足したい事は大きく2つの事柄だ。まずその一つ。

 僕はサパティスタの特筆すべき美点として、「耳をかたむける能力」を強調した。しかしそれは「能力」というより、そうしなければ生き残れない厳しい状況に置かれていることからくる、一種の条件反射というか、単なる生体防衛反応のようなものではないのか?―という指摘も、もっともなことだと思うのだ。実際マルコスたちの発言の中にも、「生き延びるために、あらゆる方向に橋を架けなければならない」といった類のものが時々見受けられる。
 だが同時に、そうしたリアリズムと理想の狭間に立っていることのジレンマを、彼らはくり返し率直に打ち明けている。その率直さは他に類を見ないだけに、ほとんど感動的ですらある。
 彼らは内外のさまざまな市民運動やNGOとの連帯を表明することをはばからないが、八方美人的に愛想を振りまいたり、コネを作ろうとすることはない。それはイデオロギーの問題云々ではなく、いくら愛想が良くても、銃を持った者(=自分達、EZLN)と心から打ち解けた、対等の関係は結べるはずかないという遠慮(だが事実だ)からだったりする。と同時に、彼らには彼らの倫理規範というものがあり、政治的には「常にチャンスをみすみす逃してしまう」(p142)とわかっていても、その倫理の方を重視し、時には支援者たちをすら困惑させてしまう。
 かといってその倫理規範を前面に、ストイックな殉教者のイメージを打ち出すことを彼らは断固として避ける。またさらに、彼らの場合「政治的言説」に対する強烈な不信があるのだが、それらを相対化するカブトムシの“ドゥリート”や村の古老の文体は、一般の人たち(というより、従来の政治文化の中で安住してきた人達)にはある意味「政治的言説」以上につかみどころがない。
 そういった、局面ごとに現れるサパティスタの「矛盾」というものは、あげつらおうと思えばいくらでもある。「矛盾」とまで言わずとも、あいまいさ、煮え切らなさ、優等生的な(先住民的な?)慎重さ、といったものである。だがそれらをあげつらう時に、僕らは彼らの経験した絶望を、その「質」を、見過ごしてはいないだろうか。
 絶望の「質」?そんなものあるのか?サパティスタ流の言説にあやかった言葉遊びじゃないのか?そんな声が聞こえてきそうだ。
 だけど「われわれがやったようなことをやるためには、絶望していることが必要だった」とマルコスが言う時、僕はその絶望の「質」に、確かに息をのんでしまう。

94年の段階では、大半のメヒコ人は政治・経済の危機をまだ自ら経験してはいなかった。明晰な人はいたけれども、大多数はチアパスを一種の例外として見ていたのだ。「ああ、かわいそうな先住民たち。彼らは正しい。だから蜂起したんだ。にっちもさっちもいかなくなってね・・・・・しかし、私にはまだ政治的手段がのこっているし、輝かしいか、少なくとも有望な経済的水準がある」と。
(p88、マルコス)
 ここで言う「メヒコ人」とは、主に首都メキシコシティーの住民を指している。しかしこれを「日本人」や「アメリカ人」「韓国人」に置き換えたところで、特に不都合があるとは思えない。
 次に、『もう、たくさんだ!』所収の、あるジャーナリスト宛のマルコスの書簡に出てくるエピソードも引用する。蜂起直後の村でのエピソードである。ちょっと長くなるが、あえて引用したい。ここでも「メヒコ」はメキシコシティーのことである。

ペドロというひげをはやしたチョル(註:先住民族名の一つ)の男が夜中にたいまつを右手に私(註:マルコス)に近づいてきました。[・・・・]「われわれはメヒコに行かなければならない[・・・・]メヒコ人は、チアパスはほかと違う、ここではひどい状況だが、ほかは穏やかだと言っている」。私は彼を見ました。彼は私を見ようとはしませんが、彼が手にしていた新聞が目に入りました。懐中電灯を探して、ペドロが示した記事を読みました。その記事によれば、われわれの戦いは全国的なものではないから失敗する運命にあるということです。全国的でないというのは、われわれの要求自体が、一地域の先住民のものでしかないからです。ペドロは続けて言いました。「なんて貧しい考えだろう。われわれ以上に貧しい。なぜなら、われわれは正義とともに自由と民主主義を求めているのだから。これを書いた人は、自分たちの政府をきちんと選ぶこともできないのに、自分たちのことを憐れと思っていない。われわれを憐れむのだ。かわいそうな人びと」。
(『もう、たくさんだ!−メキシコ先住民蜂起の記録1』p122 註はR.S.)
   先住民たちは早い段階から、自分たちの苦境を単なる地域の経済問題(「援助」「開発」で解決できるというような)の枠に押し込めたがる人達の欺瞞を、はっきり意識していた。『サパティスタの夢』でもくり返しその過程が語られているが、「国全体の規模で戦い抜くだけの基盤がない」から蜂起はやめた方がいいという意見は、先住民村落の中にも当然あった。それも含めて議論に議論を重ねた上で、彼らは立ち上がる決定をしたのである(投票によって)。
 たとえば沖縄で、沖縄に住みながら、もっぱら経済的メリットから米軍基地の必要性を主張する、またそれが「現実的な」考えであると主張するような人達に、この先住民の言っていることがわかるだろうか。自らが建設に加わることなしに、人のおこぼれにあずかるだけの人たちに。かわいそうな人びと!
 一見遠い地の出来事が、その地で生きる人の苦悩が、こうして僕らに重なってくる。だから僕は、しつこいくらいに彼らの絶望の「質」に目を向けざるをえないのだ。そこに僕らの(未来の?)姿が重なって見えるからだ。ほっとけない、われわれの貧しさが。
 サパティスタの叛乱が、やぶれかぶれの土一揆で終わるものでなく、生き延びるための「耳をかたむける能力」を彼らに授け、何かを創り出す運動に転じたのは、そのような絶望の「質」が前提にあったからだ。そのことだけは、何度強調しても、し過ぎるということはない。



 もう一つ、今度は逆に、一般の日本人とも容易に重なるようでいて、実はかなり隔たっている概念について。
 それは「祖国」という概念である。
 サパティスタは時に「祖国メヒコのために」という言い回しを用いる。自分たちは愛国者である、とさえ言う。  これをして、彼らを古臭いナショナリズムから脱却できない、中途半端に大衆迎合型の組織であるというような批判が、国の内外を問わずあるらしい。だが、これは明らかに違うと思う。
 僕としては特に、日本人の「祖国」観との違いについて釘を刺しておきたい。彼らサパティスタの言う「祖国」とは、普通の日本人が考えるような「祖国」ではない。今ある国を無批判に肯定し、歴史を美化するための免罪符として持ち出す「祖国」なのではない。
 単にメヒコの苦節と曲折の歴史、エミリアーノ・サパタに代表される革命の伝統に対する誇りを見出すためばかりでもない。本書のタイトルに従って言えば、たくさんの世界からなる「国」を建設することが、「国」を超えて世界を建設することにつながる、そのような多様性の起点としての祖国・メヒコなのだと、僕には思える。
 そのようなメヒコが存在しないことは明らかだ。存在するべきであるのに、存在しない。だからマルコスはサン・クリストバル大聖堂での記者会見に臨み、「私たちは、私たちのことを忘れてしまった祖国を探しに来た」と語ったのだ。言い換えれば彼らの祖国・メヒコは、明日という日にしかない祖国である。

 明日という日にしかない祖国、という概念は、パレスチナの解放闘争を通じて僕は知ったのだった(確かマフムード・ダルウィーシュの詩にそんなフレーズが出てきたような)。なにしろ彼らの場合、独立国家としてのパレスチナが認められていない(世界の大部分は認めているが、世界を牛耳る超大国が認めていないため)以上、「祖国」は未来にしか存在しない。それは比喩でも何でもない、単なる現実なのだった。
 そんな「未来=祖国」概念の先駆者であり、第三世界の解放運動に少なからぬ刺激を、勇気を与え続けてきた当のパレスチナ人達は、それに見合った果実を今日に至るまで受け取っていない。もうとっくに、彼らがそれを受け取る順番は回ってきている。そう、何度も何度も回ってきたが、その度に「受取人不在」扱いにされてしまったのだ。そして彼らの一部は戦争・テロという絶望的な手段に訴え、自分達の絶望を孤高の位置にまで押し上げてしまった。「おまえらなんかに俺達の絶望がわかるものか!」という位置に。まるで「ユダヤ人」のように!
 僕のようなド素人が言ったら不遜に思われても仕方ないことをあえて言う。PLO指導部に、「耳をかたむける能力」が欠けていたことは否定できないだろう。武装闘争に固執し、海外勢力とのクライアント関係に振り回され、内部の権力抗争に力をすり減らし、あげく民族主義、イスラム原理主義に引きずられ・・・しかし、そんな闘争の負の遺産がうず高く積み上げられていってもなお、この地の人々には、新しい運動を生み出す力があるはずだ。イスラエル/アメリカに懐柔され、胃袋の中で消化されつつあるように見える最近でさえ、いや、だからこそ。
 ここ最近のパレスチナには、欧米からのNGOなどとの連帯を通じて、新しい闘争の形態を模索しているような動きが見える。そこにはEZLNの経験が形を変えて活かされる可能性がある。それは、実は当然の事でもある。なぜなら、EZLNの闘争自体、パレスチナを初めとする各地の解放運動の失敗や反省を踏まえ、深化させたものなのだから。パレスチナがそこから学び、自身の民主化の糧とするのは、訳知り顔の「国際社会」が押し着せようとするものとは別に、実は彼ら自身の蒔いた種の収穫を刈り取ることでもあるはずだ。
 

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SupComandante Marcos







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