『サパティスタの夢 たくさんの世界から成る世界を求めて

マルコス/イボン・ル・ボ 著 訳 佐々木真一
(現代企画室、2005年)

la civilisation faible
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それは忘却に対する闘いだった。だが、軍事的にも政治的にもそれ以上のことは一切期待していなかった。絶望的な闘いであることはわかっていた。われわれはただ、この闘いをわれわれにとって恩義のある人びと、すなわち先住民村落に少しでも意味のあるものにしたいと、そう思っていた。
(p94、マルコス)

 サパティスタ民族解放軍(略称EZLN)に関する書籍は、今までにもいろいろ出ている。その多くは本書と同じく現代企画室から出版されたもので、スポークスマン的存在として知られるマルコス副司令官のインタヴュー中心にまとめた本としては、『マルコス ここは世界の片隅なのか』*1(2002年、イグナシオ・ラモネ/湯川順夫 訳)を既に僕は読んでいた。他にもマルコス自らがしたためた随想あるいは(先住民伝承に基づく)寓話集なども出ているし、彼の署名入りのコミュニケや書簡の類ならWebサイト*2でも読むことができる。この辺の事情を知っている人なら、「マルコスのインタヴュー本が出た」と、ただそれだけ聞いても、「ふーん、また?」くらいにしか思わないだろう。
 まして本書はイボン・ル・ボ(フランスの社会学者)による1996年のインタヴューである。マルコス以外に、司令官タチョ、モイセスのインタヴューも同時掲載されているという目新しさを別にすれば、そんな古い話をなんで今頃?といぶかる人がいても不思議ではない。かくいう僕がまさにそうだったのだが。

 ところが、いざ読み進むと、─「こんな話は聞いたことがない・・・」という、当惑と感激の入り混じった思いにとらわれてしまった。自分が今まで「EZLNの理念」として理解していたのは形ばかりのことで、言うなれば肉付けがほとんどなかったのではないか。だがその肉付けを目の当たりにすると、彼らのたたかいは急速に自分の心臓に近いところまで迫ってくる。
 ここで語られているのは、94年1月1日の蜂起にまつわる単なる「裏話」などではない。少なくとも僕にとっては、「裏話」よりもっと意外な話である。それはマルコスにしろタチョにしろモイセスにしろ、サパティスタの面々は老いも若きも、司令官も一兵卒も、みんな普通に生身の人間であるという当たり前の事実。もう一つは、そんな彼らが模索し、呼びかけているのは、これまた普通に生身の日本人にとっても身近で切実な未来の社会像であること。サパティスタの追求する問題は第三世界のローカルな問題ではなく、そのまま日本人の、そして普遍的に地球人の問題である。
 いやいや!―そんなことならずっと前から知っていたのだ。知っていたけれど、それは言わばスローガンとして知っていたにすぎない。それが自分にとって何を意味するのか―自分の中にある“弱い文明”という核心と、どれだけ、どのようにつながるのか、重なるのか、はっきりとは実感できなかった。それゆえ僕はこの「サパティスタ」という対象とは、いつも一定の距離を保って、うかつにわかった気になる危険を避けてきたつもりだった。
 しかしそれでもなお、僕は彼らに対して先入観を抱いていたということになろう。本書と、続けて彼らに関する最初の書籍『もう、たくさんだ!−メキシコ先住民蜂起の記録1』(1995年、サパティスタ民族解放軍著、太田昌国/小林致広編訳)を遅ればせながら読んで、さらにそれを痛感したのだった。一般的な意味ではないにしろ、ある種の偶像視をしていたところもある。彼らに対してだけは、そんなミーハーな偶像視はしないぞと(裏返して言えば、彼らは僕のそうしたくなる欲求をくすぐるのだ)、固く誓っていたにも関わらず、である。



 具体的に、僕の理解の不十分だったのはどういうところか。その主要なポイントを列挙してみる。


1.マルコスはEZLNのリーダーのあくまで一人にすぎない

 EZLNという組織は、メヒコ都市部からチアパスの山中にやって来たラディーノ(非先住民である白人・メスチソ)の活動家たちによって結成された。その1983年当時、メンバーは数人足らずで、マルコスはまだ参加していなかった。組織が数千人規模にまでスケールアップしたのは、彼らが先住民と出会い、従うようになってから、言わば先住民共同体に乗っ取られ「インディオ化」したことによる。マルコスはこれを「EZLN最初の敗北」と呼ぶ。

EZLNは新しいものと対峙し、その問題に対応できないこと、待ち、学ばなければならないことを認め、先生であることをやめた。[・・・・]EZLNは村に入り、(先住民の)抵抗闘争の単なる一要素となっていく。村の影響を受け、村に従うようになったのだ。
[・・・・]この敗北を認めたために、生き延び、成長することができたのだと思う。もしそれを認めなければ、孤立し、成長できないまま、いずれ消滅していただろう。1994年1月1日に現れるEZLNも生まれなかっただろう。
(p41−42、マルコス ()内はR.S.)
 つまり、これは素晴らしい敗北だったのだが、当初からのメンバーには、この状況を受け入れられず、離脱する者もいたらしい。そしてマルコスら少数が残った(うち一人、ペドロ副指令官は1月1日の戦闘で戦死。これによってEZLNの非先住民は事実上マルコス一人になったので、この“少数”はたった2人、のことかもしれない)。
 そのマルコスは軍事部門の長であるが、共同体を運営する権限はCCRI(先住民地下革命委員会)にある。あくまで主役は民衆であり、だからこそ彼は一歩引いて「副」司令官なのだ。そして今に至るマルコスのスポークスマン的役割は、蜂起以後成り行きでそうなってしまっただけで、予定されていたわけではない。その語り口は先住民の思想、とりわけEZLNと先住民世界の橋渡しとなったアントニオ老という長老に、多くを学んだものである。
 僕の中には、これまでどうしても「マルコスという優れた理論家が先住民に知恵を与え、蜂起に導いた」という先入観が拭えなかった。だが本当には、知恵を与えたのはむしろ先住民の方だったと言うべきなのだ。しかも彼ら先住民のリーダーたちこそは、自分達の共同体の問題を、普遍的な民主国家のあり方において解決するように、つまり地域限定の問題として処理されてはならないことを、最も強行に主張したのだった。


2.EZLNは蜂起のために作られたのではない

 僕はまた、彼らの蜂起はマルコスらEZLNのブレーンたちによって、活動当初から計画されていた、というか、そもそもそのために結成されたのがサパティスタ民族解放「軍」だろう、という先入観を持っていた。だがこれも違う。
 この「軍」は、元々は来たる内戦に備えての防衛、後には先住民共同体の抵抗闘争を支えるという、ほとんどパッシヴな発想から構築されていた。それが、自ら打って出るというアクティヴな選択をするにあたって、抜本的に作り直されなければならなかったのだ。
 マルコスは80年代末ごろのEZLNの急速な拡大について、いくつかの要因を推定している。
○88年大統領選における不正―平和的変革の可能性の否定
○コーヒー価格の暴落
○セルバ(チアパスの大部分を占める密林地域)での大規模な伝染病発生
○農園主の雇った白色警備隊によるテロの横行
○憲法第27条(農地改革の最重要部)の改定―貧農にとっての命綱が断ち切られる
 「健康も、教育も、衛生も、自由も、民主主義も、独立も、平和も、何もかもが欠けている」(モイセス少佐)状態。選択の余地がないとは、こうした状況のことだ。日本あたりで「戦争はいつ起こるか知れないのだから軍備の拡充を主張して何が悪い」などとのたくっている自称“現実主義者”たちには想像もつかないような、破局的な「現実」を彼らは生きていた。
 これらに加えて、決定的な死刑宣告が追加される。政府はアメリカとのNAFTA(北米自由貿易協定)調印に向けて突き進んでいた。先住民たちは、ついに一斉蜂起を決意する。EZLNが提案したのではない。意見投票により住民の過半数が戦争を支持し、EZLNに共に戦うことを、軍事部門としての使命を全うすることを命じたのだ。

村は、もしわれわれが彼らと一緒にやらなければ自分たちだけでもやってしまうと警告し、そして一年間の期間をわれわれに与えたのだ。
(p90、マルコス)

いずれにしてもわれわれは死んでゆく。誰も気づかないし、誰も何も言わない。だが戦争を起こせば死ぬのはわれわれだけではない。奴らも死ぬのだ。少なくとも、奴らにとって深刻な問題を作るのだ。
(p144、マルコス)
 数少ない非先住民のメンバーとして、緻密な作戦プランを立てる作業に没頭するマルコスの胸には、どんな想いが去来していたのだろう。叱られるのを覚悟であえて白状すれば、何となく僕は『もののけ姫』におけるアシタカのことをロマンチックにも連想してしまった。ただよく考えると、アシタカは森と人間の間にかろうじて和解の余地があることに賭けて、調停に走り回ったが、マルコスは「森の民」の絶望を肌で理解し、共に戦って死ぬことを引き受けたのだ。ならば、むしろサンの立場に重なると言うべきだろうか(冒頭の引用を参照)。


3.EZLNは今あるような政治的ヴィジョンを持っていなかった

 先住民たちはNAFTA発効のその日、94年1月1日未明、チアパス州の複数の街・行政区を電撃的に占拠し、監獄を襲撃し政治犯らを解放し、政府軍の兵営を攻撃した。当初の作戦はおおむね作戦通り、最小の犠牲を払いつつ、成功した。だがそこから先は、村落としての抵抗は続いても、軍としては壊滅することを覚悟していた。
 すべての兵士が玉砕する計画だった、というのではない。夏に予定されていた総選挙まで引っ張れば、政府の譲歩を引き出すことができるかも、といったような様々な駆け引きのプランはあった。
 ただ、それをあてにして見通しを立てることはできない。自他の軍事力の圧倒的な差や、相手の残忍さをよく知る彼らにしてみれば、甘い期待を抱く余地などなかったのだ。事実、ジュネーヴ条約に基づく戦争法に忠実に戦うEZLNに対し、政府軍は不意を突かれた劣勢を取り戻そうと、手段を選ばぬ報復(捕虜の処刑、市民の無差別逮捕、村への空爆など)に打って出る。1月1日から続く1〜2週間は予想通り、そんな調子だった。

 その時、マルコスらが言う「予想外の出来事」が起こる。
 都市の一般市民たちが、メディアや大規模な街頭行動を通じて、交戦双方に“待った”をかけたのだ。これを受けて、対外イメージも気になる政府は一方的に「停戦」を宣言する。
 マルコスたちは、蜂起に対する一般市民の反応は、完全な無視か、武装蜂起への参加(もしくは同調反乱)のどちらかであり、後者の可能性は限りなく低いとふんでいた。ところが、そのどちらでもない事態が出現したのだった。

市民社会が介入して、「連邦軍兵士ちょっと待った!サパティスタもちょっと待った!」と。もしサリナス(註・大統領)がそれを無視すれば、私らも続けざるをえなかっただろう。だが、民衆の力が勝ったんだ。私らもそれを無視するわけにはいかなかった。というのも、私らの名前には「民族解放」とあるんだから。だが、武器を使うわけにいかないのなら何をしたらよいのだろう?
(p120-121、モイセス少佐 註はR.S.)

 これは「EZLN第二の敗北」とも呼ぶべき事態だった。今度こそはマルコスばかりか、先住民の大所帯であるEZLN全体がこうむった敗北である。だがまたしても、それは意義深い敗北になったのだ。
 政府は特使を派遣し、チアパスの古都サン・クリストバルにてEZLN代表団との対話交渉が行われる運びとなった。市民は「平和ベルト」を組織し、会場である大聖堂を取り囲み、丸腰のEZLN代表団の安全を保障した。交渉自体は芳しくはかどらず、その後与党内の「融和派」と目された次期大統領候補コロシオが暗殺されるに及んで、決裂する。だがこの対話を支えるために集結した市民たちとEZLNの間に生まれた絆が、CND(全国民主会議)、あるいはFZLN(サパティスタ民族解放戦線)といった両者の橋渡しとなる機関を生み、市民のサパティスタ運動、さらに国際的サパティスタ運動へとつながっていくのである。

われわれは10年間死ぬために準備してきていた。われわれは死なず、生きていることに気づき、そして1月2日から即興で始めたのだ[・・・・]語るために10年間用意してきたのではないのだから。
(p86、マルコス)

 それでも彼らの「語る」言葉の力こそは、メヒコ内外の多くの人々を揺さぶった。そしてその能力は、「批判を受け入れ、耳をかたむける能力」が土台にあったということを、忘れるわけにはいかないと僕は思う。いや、正確には、「耳をかたむける能力」が自分達には欠けているのではと常に案じ、常に戒め、他者に対して自分達を開いていこうとする真摯さ、と言うべきだ。
 EZLNの、この悪く言えば行き当たりばったりの率直さこそが、彼らの本当のすごさではないか。権力奪取を目指さないこと、軍隊としての消滅を目指していること、様々なレベルの民主主義を組み合わせ実践していることなど、これまでの「左翼ゲリラ」「革命軍」の常道を覆してきた彼らだけれど、その根本には「耳をかたむける能力」があったのだということが、本書を読んで初めてわかった気がする。しばしば彼らが口にする「従いながら統治する」というテーゼにも、それが現れていると思う。

私たちは政治のやり方、それも新しい、生のための政治のやり方をみんなで学びはじめました。1994年にそれを始めたのです。それ以前ではありません。闘い、守り、死に、殺すために準備していたのですから。でも、政治が必要なのだとは考えもしませんでした。
(p115-116、タチョ司令官)

メヒコ解放への道をわれわれの血で肥やしたいとも思っていない。われわれの生をもって肥やしたいのだ。[・・・・]われわれは生きるために闘うのであって、殺されるために闘っているのではない。
(p234、マルコス)




 以上のようなポイントは、本書以前に、これまで自分が目を通してきた情報だけでもわかることはできたのかもしれない。そう指摘する人がいても、僕は反論できないだろう。
 ただ、僕が目を通してきたものというのは、もっぱらEZLNの「いま」を漠然とつかむことはできても、どういういきさつで「いま」があるのかを知るには、向いているとは言えないと思う。やはりそれを把握するには、最も初期の刊行物、例えば現代企画室の『もう、たくさんだ!』から順を追って読むべきだった。でなければ、本書である。本書は蜂起に至る前史と、蜂起後の最初の1,2年間において、彼らの基本的な方向性がいかに定まっていったかを知るのにちょうどいい。彼らが抱えるあいまいさ、ジレンマを共有すること、後に経験する一種の停滞時期の背景を感じ取ることすらできるのは、本書が(ありがちな言い方で恐縮だが)彼らの等身大の姿をよく写し取っているからだ。

 さらにこの本の長所として、僕がどうしても強調しておきたいのは、ここに語り手としてマルコス以外の2人、モイセス少佐(当時。現在は司令官の一人)とタチョ司令官が登場することだ。
 知ってのとおり、EZLNからのメッセージ類は、その多くがマルコスによるもの(あるいはマルコスの手の入ったもの)である。それは彼がまさにその能力の高さを仲間内で買われてのことなのだが、情報を受け取る我々からすれば、彼らのメッセージはいつもマルコスの文体というワンパターンの印象が拭えない。時にコミュニケや演説草稿の形で、他の司令官らの署名入りの文章を目にすることがあっても、マルコスの文章にあるような、文学的な個人のオーラはあまり感じられない。
 それが本書では、マルコスより分量は少ないながらも、モイセス、タチョの生の言葉が読める。生の、と言っても、もちろん原文はスペイン語で、翻訳者を通しての言葉にすぎないのだけれど、それでもビシビシと伝わってくる2人のサパティスタの人間性は、まさしくそれ自体が一つの詩のようなものだ。単にマルコスの固い口調に対して、2人のやわらかい口調が補足材料としては読み易くていい、というようなメリットの話ではない。
 両人とも、いわゆる学校教育というものをほとんど受けていない(タチョは「読み書き知らずの二年生」といって自分を笑う)。にも関わらず─いや、何が「にも関わらず」なんだ!─彼らの話しぶりは、僕の胸を熱いもので一杯にする。彼らの生い立ち、農民運動や組合活動、彼らの闘い、彼らが闘いに向かわざるをえなくさせた社会・日常生活のすべてが、彼らの「学校」だったのだ。彼らはそこで、僕らが先進国の学校で何年かかっても学びきれないものを学んだ。だからこそ大観衆を前にしても、ノーベル賞作家を前にしても、ヨーロッパの学者先生たちを前にしても、物怖じもせず緊張もせず、まして媚びへつらいもしない。
 たとえば、モイセスが“政治家”たちを批判する次のような言葉に耳をかたむけてみる。
自国民によりよい教育を与え、よりよい健康を保障するのは彼らの義務じゃないか。「サリナスさん、セディージョさん(註 当時の前大統領・新大統領)、これがあなたの義務ですよ!」と言うために、なんで血と命をかけなくちゃならないのか。統治するのを学びにどこだかに勉強しに行ったと言うけど、一握りの先住民に何をやらなくちゃならないのか教えてもらわなくてはならないんだったら、その勉強はなんの役に立ったんだろう?私らは戦争はしたくない。だけどもし私らを人間として扱わないのなら、私らにも尊厳があるんだ。そのために私らが闘わなければ、誰も私らの代わりに闘ってくれなどしない。
(p107、モイセス少佐)

 こんな言説は「単純」だ、と言う人もいるのだろう。だが、この単純明快さにまともに向き合えない人間の現実とは一体何なのか。それこそが恐ろしい現実だ。この単純明快さに備わる「尊厳」を聴きとれないほど聴力が退化してしまったのだとしたら、そのような国民こそ「問題」だ。僕にしても、そんな彼らの口から「仲間」「兄弟」という言葉がもれる時、そのあまりの自然さに、初めてその言葉を耳にしたような錯覚を覚えるほどなのだ。
 僕らはどうやって言葉を取り戻すべきだろうか。少なくとも、言葉を取り戻すことなく、政治を、民主主義を取り戻すことはできないだろう。サパティスタ運動が「言葉の闘争」とも呼ばれるのは、まさしくそういう意味であるはずなのだ。
 カオスについて、前衛主義・経済主義からの脱却について、抵抗と孤立について、投票について、尊厳について─この本はどこを切り取っても、示唆に富む発言・メッセージに満ち満ちている。ただしそれは、これを元にメヒコや先住民の運動を知るというより、日本の自分達の現状、そして未来について考えさせられるという意味でこそ示唆に富むのだと思う。
複数主義的で、包含的な民主主義でなければなりません。そして、民主主義に到達するためにはいろいろな方法を組み合わせなければならないでしょう。みんなのための民主主義ですよ。一握りの人間のための民主主義なんて、これまでいくらでもあったのですから。
(p169、タチョ司令官)

政治を内側から変えることが可能だというまやかしにおちいることはないだろう。政治とは別の政治をやることで変えていくものだと思うのだ。
(p233、マルコス)

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