『宮殿』 の物語を読み解く


 by レイランダー・セグンド  Mar.2005

la civilisation faible
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 『クリムゾン・キングの宮殿』 (1969年) − このアルバムのロック史における意義については、これまで各方面の無数の人達によって語られてきた。 「ロック史に燦然と輝く名盤」 とか、「多くのフォロワーを生み、後の音楽シーンに多大な影響を与えた」 「プログレッシヴ・ロックの発端となった革命的作品」 という評価である。これらについては、今さらくり返すに及ばないだろう。

 だがそうした一般的評価は別にしても、初めて出会って以来、このアルバムは僕の中で、ロック・ミュージックというカテゴリーを超えて、「傑作」 という概念の一つのモデル、あるいは基準点になってしまっているところがある。
 キング・クリムゾンには、他にも傑作の呼び声高い 『太陽と戦慄』 や 『レッド』 というアルバムがある。加えて、ロック・ミュージックという狭いジャンルの中ですら、『クリムゾン・キングの宮殿』 と並び称されるべき名盤は、他のアーチストの仕事の中にもいくらだってある。枠をもっと広げて現代音楽全般ということで見れば、なおさらである。
 それでも、『宮殿』 の“完璧ぶり”は、何か別種の風格をもって、唯一無二のものとして今でも僕に迫ってくるのだからしょうがない。
 個々の楽曲のインパクトや、それらを統合する形式の優れているゆえをもって、というにとどまらない。才能あふれる音楽家たちが一生懸命作ったので、こんなに良い作品ができました的な次元とは違う。何かあらかじめ 「啓示を受けた」 設計図どおりに、無心に作業した結果こうなりましたとでもいうような、神がかり的な完成度の高さ。メンバー一人一人の才能がどうだこうだと言う以前の、“必然性”に裏打ちされた結果、という感じを受けるのだ。
 実際、これはバンドの1stアルバムであり、作った当人たちは当時二十歳そこそこの若者たちだった、という驚愕の事実がそれに追い討ちをかける。1stアルバムというものは大体において、十分な期間ライヴなどを通じて練りに練られた曲ばかりを収めるので、自然ムダのない良作が生まれやすいという定説は、このバンドにも当てはまるだろう。しかし同時に、そのような定説だけでは説明のつかない、得体の知れない完成度の高さがあることも事実だ。それは録音トラック数の限界を意識させない完璧なアンサンブル、メンバーの実年齢を疑いたくなるほど老成した演奏のたたずまい、などをとっても明らかである。
 何らかの超自然的“必然性”なくして、こんなことが可能だろうか?やはり彼らは神に導かれていたに違いない、云々−などど信じてもいない大げさな考えをもて遊びたくなるほど、この作品の“完璧ぶり”はハマっている。超自然的な何かが真実であるかどうかはどうでもよい。そういうものを想起させるということ自体が、ただ事ではないのだ。
 「傑作」 とは究極のところ、こういうものなのだという、この印象は今に至るまで変わらない。

 この印象は理屈ではなく、直感的なものである。初めて出会って以来、と書いたが、初めてこのアルバムを聴いた時に、具体的にどこで 「傑作」 を直感したのかと言えば、オープニング= 「21st Century Schizoid Man」 の衝撃もさることながら、そこから一瞬の隙間の後に次の 「風に語りて」 に流れ込む瞬間である。
 あっという間に風景がすりかわるような、瞬間移動装置で別の空間に突然持っていかれるような、あの瞬間。あの瞬間に僕は、まだ最後まで聴いてもいないうちに、「ああ俺はいま世紀の傑作を聴いているんだ・・・」 という思いに駆られていた。特別なSEや仕掛けが施してあるわけではない、ただ2曲が順に並んでいるだけ。その 「ただ並んでいる」 状態にこれほど感動できるのは、そこに“必然”があるからである。一曲一曲をバラバラに聴くときには聴こえてこないものが聴こえてくるからである。
 こんなことが音楽には可能なのだという驚きと感動、それが自分とこのアルバムとの長い付き合いを、長くたらしめた最大の要因であるのは間違いない。
 だからこそ、こういった 「瞬間」 に注目することが、単に音楽のマジックに酔うためというよりも、P・シンフィールドの詞のコンセプトを読み解く上でも鍵になるはずだ、という思いを長年にわたって捨てきれずにいた。そして比較的最近、僕の中にあったこのアルバムをめぐるモヤモヤした妄想が解けたというか、「妄想なりにひとつながりの輪になってしまった」 ようなのである。

 そう、これは僕の妄想である。おそらくクリムゾンの伝記本やインタヴューの類を読んでも、これと直接合致するような話などは見つからないだろう。
 だが60年代の終わり近く、時代に充満する 「死」 の空気は、メンバーの、とりわけ詩人シンフィールドの深層に、この手の妄想を育ませるに十分だったはずだと思う。
 68年4月、キング牧師が暗殺された。一方では文字通り 「天文学的」 予算をつぎ込んだ事業によって、人類の月面到達というハイライトを達成し、物質文明の栄華の頂点を極めつつあったアメリカは、同時並行して貧しいインドシナの農民たちの頭上に爆弾のスコールを降らせるという、もう一つの事業にまい進していた。68年の 「北爆停止」 を受けても、アメリカは実際にベトナムから手を引いたわけではなく、中立国カンボジアへの秘密爆撃など、むしろ戦場を拡大していた。この年から翌69年にかけて、欧州でも反戦デモは最高潮に達する。他方チェコスロヴァキアには、物質文明のもう一方の権化、ソ連が率いるワルシャワ条約機構軍が侵攻し、「プラハの春」 は瓦解した。
 68年 「パリ5月革命」 は政治的には挫折であっても、文化に与えた影響は計り知れない。それはある種の自己否定・自己破壊、何より 「美学の破壊」 を内包する衝撃として、欧州のすべての意識的なアーチストに伝わったはずだ。ロックのリスナーである欧米の若者たちにおいては、死と破局の妄想、どころかもっと直接的な表現すら受け入れる下地がすでにあった。それが現実になるかどうかはともかく、「表現」 としては、である。夢見心地の Love&Peace から目覚めて、より先鋭的な意識に向かっていく途上にあったのがこの時代だった *1
 だから、ここで言う 『宮殿』 の物語とは、一枚のアルバムの話というより、60年代末の社会情勢を受けて浮かび上がった一つの妄想/幻影を僕なりに再構築したもの、というのに近いかも知れない。とにかく、その妄想の存在を意識すること抜きに、『宮殿』 の扉を開けることができるとは、到底思えないのだ。

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☆本論考を書くにあたっては、KT氏の KING CRIMSON和訳集 に多大な刺激を受けました。謹んで敬意と感謝を表します。




*1 その考えの裏づけになるかどうかはともかく、60年代のクリムゾンの貴重なライヴ映像が見れるサイトを発見した。
http://www.kingcrimson.com.br/menu.htm
 なんとブラジルの(!)クリムゾン・ファンによるサイト。トップページの中ほどに映像のメニューがあり、その中に、69年ロンドンはハイド・パークでのブライアン・ジョーンズ追悼コンサートで、ストーンズの前座で登場した際の伝説の映像がある。わずか30秒ほどの 「Schizoid Man」 の細切れ演奏シーンだが、もうカッコよすぎ(泣)。ポルトガル語で 「歴史を変えた30秒」 みたいなキャプション(多分)が付いてるが、言い得て妙かも。一部聴衆の困惑した表情が見ものである。ジョーンズへの追悼のつもりで集まって、はからずもジョーンズに代表される 「60年代」 そのものの追悼に立ち会わされてしまったような。
 このサイトも、最近までの全アルバムの歌詞のポルトガル語対訳ページを完備している。どこの世界にも根性のある人はいる・・・。




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